※1
素問・陰陽別論第七に「陰陽結斜、多陰少陽、曰石水、少腹腫」とある。
森立之は「素問攷注」に澀江全善曰くとして以下のように引いているが、これが「素問識小」にある抽齋の叙述だと思われる。
「馬玄臺謂、斜邪同。古通用。呉張諸家並同此義。蓋借邪爲斜正之字、古書往往有之。未見以斜爲邪氣者。按、斜恐糾字之訛。<説文>糾、縄三合也。從糸筆。<後漢書>注、糾、纒結也。結糾、即結聚纒合之謂、於經文似覺穩帖。<説文>又云、筆、相糾繚也。一曰瓜瓠結筆起。結筆與結糾同。亦可以證也」
「馬玄臺謂ふ、斜と邪と同じく、古は通用す。呉(呉昆)張(張介賓)の諸家、並びに同じく此の義なり。蓋し邪を借りて斜の正字と爲せるごときは、古書往往にしてこれ有るも、未だ斜を以て邪氣と爲せるは見ず。按ずるに斜は恐らくは糾字の訛りならむ。<説文>に糾は、縄三合なりとし、糸と筆に從ふ。<後漢書>の注は、糾は纒(まつわりつく)結なりとす。結糾は、即ち結聚纒合の謂なりて、經文に於いては穩帖(=穏当、妥当=妥帖)と覺ゆるに似たり。<説文>に又云ふ、筆は相ひ糾繚(もつれる、繚乱)する也。一に曰く、瓜は瓠結筆起するなりと。結筆と結糾とは同じく、亦た以て證とす可し」
※2
七損八益について素問に述べてあるのは、陰陽應象大論第五であり、そこには王冰の注も付されている。「素問識小」は未見なので、抽齋の注については後学を俟ちたい。森立之「素問攷注」には抽齋注に関する記述はない。
「歧伯曰く能く七損八益を知れば則ち二(陰陽)は調う可し、此れを用いるを知らざれば則ち早く衰うるの節(しるし)なり」
王冰注「用いるとは房色を謂う也。女子は七七を以って天癸の終りと爲し、丈夫は八八を以って天癸の極みと爲す。然り八は益す可しと知れ、七は損(そこな)う可しと知れ。則ち各々氣分に隨いて天眞を修養してその天年を終え、以って百歳に度(わた)らん」
・筆者の七損八益についての小論は「子宮下垂・子宮脱に対する鍼灸治療」の後半部に併載してありますので、こちらをご覧ください⇒
※3
この抽齋の注釈は「靈樞講義」本神第八にある。これは靈樞の次の条文に注を付したものである。
「肝悲哀動中則傷魂、魂傷則狂忘(妄)不精、不精則不正當人、陰縮而攣縮、兩脅骨不舉、毛悴色夭、死干秋」
抽齋の注は、太素を引いて靈樞について言う。
太素「不精」不畳。「則不正當人」作「不敢正當人」、無「不舉」之「不」字。
善按「不正當人」一句、太素可從、蓋華佗、千金方引外台秘要方同。所謂精彩言語、不與人相主當者、即此義、言其狂妄。諸注「正當」二字屬下文、非是。
これは読み下すと以下のようになる。
太素は「不精」を畳ぜず。「則不正當人」を「不敢正當人」に作る、「不舉」の「不」字は無し。
善按ずるに、「人に正當ならず(人として正しくない)」の一句、太素に從ふべく、蓋し華佗の(千金方に引外台秘要方を引くと同じ)所謂「言語に精彩す」も、人相に與らずして當る(=正しくあること)を主る者なりとは、即ち此の義にして、其の狂妄なるを言うなり。諸注「正當」の二字を、下文に屬せしむるは是ならず。
抽齋は「則不正當人」の「正當」を修辞法の一つである連文であり、「當」は「正」のリズムを補うために付された字であると考えたのである。
この箇所について森鷗外は「澀江抽齋」その五十五にこう書いている。( )内は筆者の補足。
「靈樞の如きも『不精則不正當人言人人異』の文中、抽齋が正當を連文となしたのを(墓誌を記した海保漁村によって)賞してある」
この箇所をふくむ靈樞・本神第八の条文に「言亦人人異」の文字はなく、ここは鷗外が読み誤ったものと見える。
連文…訓詁学の用語で、語を二音節化して安定させるために、ある文字に意味上で関連のある文字を付加させること。
①造車(車を造る) → 造車馬(馬の意味は取らない)
②御寒(寒を御す) → 御寒暑(暑の意味は取らない)
③同義連用・恋愛、労苦
復詞偏義・一旦緩急あらば、生死を決す(意味としては「一旦急あらば、死を決す」)
※4 森鷗外は以下のように書いている。「平野氏の生んだ女<むすめ>と云ふのは、比良野文藏の女<むすめ>威能<ゐの>が、抽齋の二人目の妻になつて生んだ純<いと>である。勝久さんや終吉さんの亡父脩は此文に載せてないのである」(「澀江抽齋」その八)
抽齋の子すべての名が刻んであるわけではない。勝久は四女陸<くが、母は五百>、終吉の亡父である脩とは抽齋の五男である(母は五百)。抽齋は生涯に四人の妻を持ちその間に七男六女を挙げているが、夭折したもの多く、人となった者は四人の男と三人の女だけだった。 |