「灌水の法」というのが「傷寒論」の五苓散の条にのみ書いてあり、これが書物に書かれたものでは最古のものである。活人書(蘇生法を扱った書※)には「傷寒可水法」あるいは水中に漬す法として載してある場合もある。「儒門事親」という医説にも痘瘡を病んだ時に水に漬す法を説いてある。したがって「灌水の法」は「傷寒論」を書いた張仲景以前からあったものではないか。その後、廃れて、また宋代に再び俗間で行なわれるようになったものであろう。平清盛が「灌水の法」を施されたのも、宋の俗間の法を伝える者があってのことだろう。そうでなければ、高位の人を容易に水に漬けたり、飲ませたりすることなどできるはずがないのである。
さて、この「灌水の法」だが、熱因の証には治効があるはずである。私(蘭軒)は二人の奏功例を見たことがある。
一人は年六十あまりの温疫を病んだ人で、舌苔は黒く、絶食してより数日経過しており、まず助からない証であった。私は診察したうえで薬を三貼(処方は失念したが、おそらく承気湯の類であった)渡して辞したが、この夜というのは実に文化三年丙寅の大火事で、家族は病人を伴って逃げるうちに、火は早くも近隣にまで及んだ。家族は是非もなく、病人を夜着のまま戸板に寝かせて、あたりの川べりの雑具の積み出された間に置いた。そのうちに、その川べりにも火煙が迫ってきたので、已むを得ない、所詮は死ぬ運命の人間だと諦めて、家族は逃げることにしてしまったのである。
さて病人は、熱にうかされて終始夢中だったが、夜半になって潮が満ちてきて、ようやく気づき、徐々に正気がもどってきたらしい。それまでに潮水もずいぶん呑んでいたのである、ついに私の薬ものまずに全快したのであった。
もう一人は、体躯壮実の男子、年は三十ばかりで、これも疫病を患い医者に治を求めたが何日たっても癒えなかった。医者は、あろうことか、この治療ではだめだと自ら怒りだして浴室に走り込み、冷水数十杯を患者に浴びせかけた。するとたちどころに癒えてしまったのである。医者は、草屋住まいの自宅で友人と談ずるに、これは疫病などの外邪ではなく、単に平生からずっと悪寒している人がいるものだ。つまり陽気が体内に沈伏しているのであるから、灌水して潜んでいる陽気を劫(おびやか)し出すと癒えてしまうことがあるということであった。なるほど、理屈はそういうことかも知れないのである。
※古代の蘇生法については、首吊り縊死に対する蘇生法が「大同類聚法」や「医心方」に述べられているようで、槇佐知子『日本の古代医術』〔文春新書〕の226頁に紹介がある。現在では蘇生不可能とされる自縊死の場合でも、蘇生が試みられており興味深い。この場合、「大同類聚法」「医心方」ともに、首吊りの縄を切ってはならないとされている。 |