素問を訓む・枳竹鍼房
       
 
 
 
 
 
 
 
 
 

  素問・三部九候論篇第二十 読み下し文と現代語訳

1-1 黃帝問曰、余聞九鍼於夫子、衆多博大、不可勝數。余願聞要道、以屬子孫、傳之後世。著之骨髓、藏之肝肺、歃血而受、不敢妄泄。令合天道、必有終始、上應天光星辰歷紀、下副四時五行、貴賤更立、冬陰夏陽、以人應之奈何、願聞其方。

《読み下し文》 黃帝問ふて曰く、余、九鍼を夫子に聞くこと、衆多、博大にして、勝げて數ふ可からず。余、願はくば要道を聞き、以て子孫に屬(たの)み、之を後世に傳へむ。之を骨髓に著(あらは)し、之を肝肺に藏(おさ)め、血を歃(サフ、すす)りて受け、敢へて妄りに泄らさざらむ。天道に合し、必ず(一年の)終始有りて、上は天光、星辰、歷紀に應じ、下は四時、五行に副(そ)ひて、貴賤更々立ち、冬陰夏陽に、人を以て之に應ぜ令むること奈何、願はくば其の方を聞かむ。

《現代語訳》 黄帝が言うには、岐伯先生より九鍼については、非常に多く広く教えて頂きました。この上は、その要道を聞き、子孫・後世に伝えたいと思います。肝に銘じ、骨に刻み、盟約の血をすすり、他に漏らすことのないようにしましょう。天道に合わせ、必ず一年の運行にも合わせ、上は天光・星辰・歴紀に沿い、下は四時・五行に沿って、旺気すべき気が代わる代わる旺気する、その冬の陰気、夏の陽気に人々を応ぜしめるにはどうしたらよいか、それを聞かせて頂けないか。

2-1 岐伯對曰、妙乎哉問也、此天地之至數。
2-2 帝曰、願聞天地之至數、合於人形血氣、通決死生、爲之奈何。
2-3 岐伯曰、天地之至數、始於一、終於九焉。一者天、二者地、三者人、因而三之三三者九、以應九野、

《読み下し文》 岐伯對へて曰く、妙乎なるかな問ひ也、此れ天地の至數なり。
帝曰く、願はくば天地の至數を聞き、人形の血氣に合し、死生を決するに通ぜむ、之を爲すこと奈何。
岐伯曰く、天地の至數は、一に始り、九に終る。一は天、二は地なりて、三は人(じん)なり、因(かさ)ねて三が三三に之(いた)れば九なりて、以て九野に應ず、

《現代語訳》 岐伯が応えて言うには、これこそが天地の爲せる至極の技ですので、素晴らしい問いであります。
黄帝が言うには、願わくばその天地の爲せる至極の技について聞き、それに人間の血気を合せ、病人が生きるものか死ぬものかを決定する判断に知行したいものだ。どうすればいいだろうか。
岐伯が言うには、天地の爲せる至極の技とは、一に始まり、九に終るものであります。一は天、二は地であり、三は人である。この天地人の三つに、またそれぞれ三を設けて九とすれば、天地の至極の技をあらわす九となり、これは中国国土をあらわす九野に通じます。

3-1 故人有三部、部有三候、以決死生、以處百病、以調虛實、而除邪疾。 帝曰、何謂三部。
岐伯曰、有下部、有中部、有上部、部各有三候、三候者、有天有地有人也、必指而導之、乃以爲真。

《読み下し文》故に人は三部を有し、部は三候を有して、以て死生を決し、以て百病を處し、以て虛實を調へて邪疾を除く。
帝曰く、何の謂ひや三部。
岐伯曰く、下部有り、中部有り、上部有りて、部は各々三候を有す、三候とは、天有り、地有、人有るなりて、必ず指して導き、乃ち以て真たり。

《現代語訳》 ゆえに人には三部があり、その各部には三候ずつ脈を診る箇所があって、そこで生死を決定する診断ができ、病の治療を開始することができ、虛実を調えて病邪をとり除くことができるのです。
黄帝が言うには、三部とはどういう意味か。
岐伯が答えて言うには、下部があり、中部があり、上部があって、各部は各々また三候を有します。三候とは、天があり、地があり、人があって、それを辿れば必ず治療の方法が導かれ、すなわち真に至ります。

3-2a 上部天、兩額之動脈、上部地、兩頰之動脈、上部人、耳前之動脈。
3-2b 中部天、手太陰也、中部地、手陽明也、中部人、手少陰也。
3-2c 下部天、足厥陰也、下部地、足少陰也、下部人、足太陰也。

《読み下し文》 上部の天は、兩額の動脈なり、上部の地は、兩頰の動脈なり、上部の人は、耳前の動脈なり。
中部の天は、手の太陰なり、中部の地は、手の陽明なり、中部の人は、手の少陰なり。
下部の天は、足の厥陰、下部の地は、足の少陰、下部の人は、足の太陰なり。

《現代語訳》 上部の天は、兩額の動脈であり、上部の地は、両頰の動脈であり、上部の人は、耳前の動脈です。
中部の天は、手の太陰、中部の地は、手の陽明、中部の人は、手の少陰です。
下部の天は、足の厥陰、下部の地は、足の少陰、下部の人は、足の太陰です。

4a 故下部之天以候肝、地以候腎、地以候腎。
4b 帝曰、中部之候奈何。 岐伯曰、亦有天、亦有地、亦有人。天以候肺、地以候胸中之氣、人以候心。
4c 帝曰、上部以何候之。
岐伯曰、亦有天、亦有地、亦有人。天以候頭角之氣、地以候口齒之氣、人以候耳目之氣。

《読み下し文》 故に下部の天は肝を候ふを以てし※、地は腎を候ふを以てし、人は脾胃の氣を候ふを以てするなり。
帝曰く、中部を候ふこと奈何。
岐伯曰く、亦た天有り、亦た地有り、亦た人有るなり。天は肺を候ふを以てし、地は胸中の氣を候ふを以てし、人は心を候ふを以てするなり。
帝曰く、上部は何を以て之を候ふ。
岐伯曰く、亦た天有り、亦た地有り、亦た人有るなり人。天は頭角の氣を候ふを以てし、地は口齒の氣を候ふを以てし、人は耳目の氣を候ふを以てするなり。

《現代語訳》 故に下部の天の診察は、肝の気を候って行ない、地の診察は、腎の気を候って行ない、人の診察は、脾と胃の気を候って行ないます。
黄帝が言うには、中部を候うにはどうすればよいだろうか。
岐伯が応えて言うには、中部にも下部と同じく天があり、地があり、人があります。天を診察するには肺の気を候って行ない、地の診察は胸中の気を候って行ない、人の診察は心脈を候って行ないます。
黄帝が言うには、上部は何を候って診察するのか。
岐伯が言うには、上部にもまた天があり、地があり、人があります。天の診察は、頭角の気を候って行ない、地の診察は口と齒の氣を候って行ない、人の診察は耳目の気を候って行ないます。

5-1 三部者、各有天、各有地、各有人。三而成天、三而成地、三而成人。三而三之、合則爲九、九分爲九野、九野爲九藏。
各別九九野野爲九蔵 〔敦煌医經〕
>5-2 故神藏五、形藏四、合爲九藏。五藏已敗、其色必夭、夭必死矣。

《読み下し文》 三部は、各々天有り、各々地有り、各々人有るなり。三つにして天を成し、三つにして地を成し、三つにして人を成すなり。三つなるを三つにして、合せて九と爲り、九つの分は九野を爲し、九野は九藏たり。
故に神藏は五つ、形藏は四つ、合せて九藏を爲す。五藏、已にして敗れれば、其の色、必ず夭なり、夭なるは必ず死する矣。

《現代語訳》 天地人の三部にも、また各々天、地、人があるということです。したがって、各々はまたそれぞれの天地人で天をなし、地をなし、人をなすということです。合せて九つの天地人があるのですが、この奇数である九つの分は中国全土を表す九野に応じており、また九藏にも応じています。
よって神を藏する神藏は五つ、形藏と呼ばれるものは四つあり、合せて九藏となります。五藏が敗れてしまったならば、必ず死色が現れる。死色が現れている者は、必ず死にます。

5-3a 帝曰、以候奈何。
岐伯曰、必先度其形之肥瘦、以調其氣之虛實、實則寫之、虛則補之。
5-3b 必先去其血脈而後調之、無問其病、以平爲期。

《読み下し文》 帝曰く、以て候ふこと奈何。
岐伯曰く、必ず先ず其の形の肥瘦を度り、以て其の氣の虛實を調へ、實なれば則ち寫し、虛すれば則ち補ふなり。
必ず先ず其の血脈を去り、而る後に之を調ふ。其の病を問ふことなく、平なるを以て期と爲す。

《現代語訳》 黄帝が言うには、これはどのように診察するのだろうか。
岐伯が応えて言うには、必ず患者の身体の肥瘦を見て、その気の虛実を調え、実ならば寫し、虛すれば補います。
必ず、まずうっ血している血絡を寫血し、その後に(三部九候論の不整の部分を)調えます。病が何であるかを問題にせず、三部九候論が平となったら、治療の終了とします。

《記》5-3a、b について
島田 三部九候論を論じている途中で、突然に身体の肥瘦やその氣の虛實を調える必要性などが論じられ、唐突である。またこの部分は『敦煌医書』にもないので、王冰が後から付け加えたのではないか。

6-1 帝曰、決死生奈何。
岐伯曰、形盛脈細、少氣不足以息者危。形瘦脈大、胸中多氣者死。形氣相得者生。參伍不調者病。

形盛脈細、胸中氣少不足、以息者危。形痩脈大、胸中多氣者死也。形氣相得、平也。参伍不調者病也。〔敦煌医經〕

《読み下し文》 帝曰く、死生を決すること奈何。
岐伯曰く、形、盛んにして、脈、細く、少氣して足らず、以て息(や)む者は危ふし。形、瘦せ、脈、大きく、胸中に氣、多きは死す。形氣、相ひ得る者は生く。參伍※の調はざる者は病む。
形、盛んにして脈、細く、胸中の氣少く不足して、以て息(や)む者は危ふし。形、痩せ、脈、大きく、胸中、多氣なるは死する也。形氣、相ひ得るは平なり。参伍※の調はざる者は病む也。〔敦煌医經〕 ※參伍・・・多くの物を比較して調べる。參、伍ともに、まじわる、まじえるの意。

《現代語訳》 黄帝が言うには、病人の死生はどうしたら決定できるだろうか。
岐伯が言うには、身体は盛んだが、脈が細く、呼吸が浅く、深い息ができないままに呼吸が終ってしまう者は命も危ういと言えます。身体が瘦せているのに、脈が大きく、胸中に気が多い者は死にます。身体と気とのバランスが取れている者は生きますし、気と血、五藏どうしの力関係など様々な要素の調和がとれていない者は病気になります。

6-2 三部九候皆相失者死。上下左右之脈相應如參舂者病甚。上下左右相失不可數者死。
三部九候形色相得者生、相失者死。若(もし)上下左右之脈相應、如参舂者病也。〔敦煌医經〕

《読み下し文》 三部九候、皆な相ひ失する者は死す。上下左右の脈、相ひ應じて參舂※(うすづく)せる如き者は病ひ甚し。上下左右、相ひ失して數ふ可からざる者は死す。
三部九候の形、色、相ひ得る者は生き、相ひ失する者は死す。若(も)し、上下左右の脈、相ひ應ずるも、参舂する如き者は病む也。〔敦煌医經〕
※參舂…島田「餅を搗く場合、捏ね手を設けずに、三人で回りながら搗くやり方を言う。そのリズムは不揃いになる」

《現代語訳》 三部九候脈が、すべて失調している者は死ぬ。上下左右の脈が、相い応じて臼で撞くように打っている者は、病いが甚だしい。また上下左右の脈が互いに失調して、ばらばらに打っているので、数えることができない者は死ぬ。

6-3 中部之候雖獨調、與衆藏相失者死。中部之候相減者死。
6-4 目內陷者死。

《読み下し文》 中部を候ひて獨り調ふと雖も、衆藏、與に相ひ失せる者は死す。中部を候ひて、相ひ減(おとろ)へる者は死す。
目の內、陷せる者は死す。

《現代語訳》 中部だけを候い、そこだけ調っていても、多くの臓器が相い失調している者は死ぬ。中部を候って、そこだけが相対的に衰えている者も死ぬ。
眼窩が落ち窪んでいる者は死ぬ。

7 帝曰、何以知病之所在。 岐伯曰、察九候獨小者病、獨大者病、獨疾者病、獨遲者病、獨熱者病、獨寒者病、獨陷下者病。

《読み下し文》 帝曰く、何を以て病の所在を知るや。
岐伯曰く、九候を察して、獨り小なるは病み、獨り大なるは病み、獨り疾きは病み、獨り遲きは病み、獨り熱きは病み、獨り寒ゑるは病み、獨り陷下するは病むなり。

《現代語訳》 黄帝が言うには、どのようにして病の所在を知るのか。
岐伯が答えて言うには、九候脈を診察して、一箇所だけ小さく脈が触れる所があれば病んでおり、一箇所だけ大きく打っている場合も病んでいます。一箇所だけ勢いの強い場合も病んでおり、一箇所だけ遅い、熱い、冷たい、陥没している場合も、それぞれ病んでいると言えます。

以左手足上、去踝五寸而按之、右手當踝而彈之 〔新校正〕
8-1 以左手足上、去踝五寸按之、庶右手足當踝而彈之、其應過五寸以上、蠕蠕然者不病、其應疾、中手渾渾然者病、中手徐徐然者病、其應上不能至五寸、彈之不應者死。是以脫肉身不去者死。
以左手去足内踝上五寸、指微按之、以右手指、當踝上微而彈之、其脈中氣、動應過五寸以上、需需然※者不病也。其氣來疾、手中惲惲然※者病也。其來徐徐※、上不能至五寸、彈之不應手者死也。其肌肉身充、氣不去來者亦死。〔敦煌医經〕

※ 需需者來有力
※ 惲惲然者來無力也
※ 徐徐者似有似無也

《読み下し文》 左手を以て足の内踝を去ること上に五寸、指、微かに之を按ず。右手の指を以て、踝上に當て、微かに之を彈く。其の脈中の氣、動應して五寸以上を過ぎて需需然たれば病まざる也。其の氣の來たること疾くして、手に中りて惲惲然たる者は病む也。其の來たるや徐徐たりて、上りて五寸に至る能はず、之を彈じて手に應ぜざる者は死する也。其の肌肉、身に充つれど、氣、去來せざる者も亦た死す。〔敦煌医經に従う〕
以て左手は足上の踝を去ること五寸、之を按じ、右手は踝に當てて之を彈き〔新校正に従う〕
左手を以て足上の、踝を去ること五寸を按じ、右手を庶(もっ)て足が踝に當てて彈き、其の應の過ぐること五寸以上なりて、蠕蠕然たる者は病まず、其の應の疾く、手に中りて渾渾然たる者は病み、手に中りて徐徐然たる者は病み、其の應の上って五寸に至る能はず、之を彈いて應ぜざる者は死す。是れ以て脫肉し、身を去らざる者は死す。中部、乍ち疏、乍ち數なる者は死す。〔素問に従う〕

〔弾踝診法について〕 島田…いわゆる弾踝診法という、切診の中の一種。内踝を指で弾き、その響きが内踝の上五寸の所までどういう来かたをするか、あるいは来ないかということで、病勢や死生を判断する診察法。

《現代語訳》 左手で足の内踝から上方へ五寸上がったところを、指で微かに押さえ、右手の指は内踝のあたりに当てて、微かに彈くと、弾いた脈中の気は動応して術者の左手に響く。この響きが五寸以上にまで上がってきて力があるなら病んでいません。その響きに勢いがあっても無力なら病んでいます。その響きが有るような無いようなもので、五寸のところまで上がって来ず、右手に応じない場合は死にます。その肌肉が身体に充ちていても、気の去来のない者もまた死にます。〔敦煌医經に従う〕
左手で踝の上方五寸を押さえ、右手は足の踝に当てて彈くが、その響きが五寸以上まで響いて、力があるなら病んでいません。その響きに勢いがあっても、無力なら病んでいます。その響きが有るような無いような者は病んでおり、その響きの五寸にまで上がって来ず、右手に応じない者は死にます。したがって、脫肉して、肉が身を去らない者は死にます(?)。中部の脈が、疏らに拍動したかと思えば、たちまち数になる者は死にます。〔素問に従う〕

森立之注
「刺節眞邪論七十五」に云ふ「鍼を用ゐるには、必ず先づ其の經絡の實虚を察し、切して之を循らし、按てへ之を彈き、其の應動に應ずる者を視る。乃ち後に之(鍼)を取りて下す」
手足、皆な之を取る、然るに手踝の上(近く)は手の太陰脈なり、足踝の上は足の太陰脈なり(楊注・五里)。足太陰脈は肉を主り、下部に應ず。手太陰脈は氣を主りて、中部に應ずる。是れ以て下文に脫肉して身より去らざるは死に、中部、乍ち疏、乍ち數なるは死すと云ふなり。
臣億等、《甲乙經》及び《全元起注本》を竝びに按じて云ふに、「以左手足上去踝五寸而按之、右手當踝而彈之」なり。全元起注に云ふ、內踝の上は、陰交の出にして膀胱に通じ、腎に系り、腎は命門たり、是れ以て之を取り、以て吉凶を明かにすと。今文は一「而」字少なく、一「庶」字、及び「足」字多きなり。王注は以て「手足、皆な取る」を解と爲せるは殊にして穿鑿(センサク、こじつけて解釈する)たり。全元起注舊本、及び《甲乙經》に從ふを正と爲す。

そもそも本文が間違っているので、王注にも無理があるのである。私も無理に素問に従わずに、敦煌医經に従って読んだ。

8-2 中部乍疏乍數者死。
其中部脈乍踈乍數者經亂矣、亦死若也。〔敦煌医經〕

《読み下し文》 中部、乍(たちま)ち疏、乍ち數なる者は死す。
其の中部の脈、乍(たちま)ち踈にして、乍ち數なる(まばらだと思うと、すぐに數に変わる)者は經、亂れ、亦た死する若き也。〔敦煌医經〕

《現代語訳》 中部の脈が、疏らに拍動したかと思えば、たちまち数になる者は死にます。
中部の脈が、踈らだと思うと、すぐに數に変わる者は經が乱れているので、また死んだようになります。〔敦煌医經〕

森立之注
「靈樞」根結第五に云ふ「五藏の期を知るを以て、短期なるは、乍ち數、乍ち疎なるを予(はばか)る(懸念する)也」
乍ち疏にして乍ち數とは、氣の喪亂(詩・大・雲漢 世がみだれ、人が死に、災いがおこる)する也、故に死す。
「靈樞」根結第五には「五藏の期を知ることによって、短期である場合は、脈が數であると思えば、すぐに疎らになるであろうことを懸念しなければならない」とある。
「乍ち疏にして乍ち數」とは、詩経にある「気の喪乱」すなわち世が乱れ、人が死に、災いが起ることをいう。これと同じことが身に起るので死ぬのである。

8-3 其脈代而鉤者、病在絡脈。
其上部脈、來代而勾者病在絡脈也。〔敦煌医經〕

《読み下し文》 其の脈、代にして鉤なる者は、病、絡脈に在り。
其の上部脈の來たるや代にして勾なるは、病、絡脈に在る也。〔敦煌医經に従う〕

《現代語訳》上部脈が間を置いたり、硬い脈であったりする場合は、病が絡脈にあります。〔敦煌医經〕

9-1 九候之相應也、上下若一、不得相失。
9-2 一候後則病、二候後則病甚、三候後則病危。所謂後者、應不俱也。

《読み下し文》 九候の相ひ應ずるや、上下、一なるが若くして相ひ失ふを得ざるなり。
一候、後(おく)れれば則ち病み、二候、後れれば則ち病むこと甚だしく、三候、後れれば則ち病みて危きなり。いはゆる後れるとは、應ずれど俱(ひと)しからざる也。

《現代語訳》 九候脈が相い応じていれば、上下は一なるがごとくして、調わないということはない。
九候のうち一候が後(おく)れて拍動している場合は病み、二候が後れている場合は重病となり、三候が後れている場合は性命が危うい。この場合の「後れる」とは、拍動が出ているが、早かったり遅かったり、タイミングが等しくないものを言います。

10-1 察其府藏、以知死生之期、必先知經脈、然後知病脈。

《読み下し文》 其の府藏を察し、以て死生の期を知るは、必ず先づ經の脈を知り、然る後に病める脈を知る。

《現代語訳》 病が府に入ったか藏に入ったのかを診て、それによって死生の期を知るには、必ず先に經脈に現れるべき脈状を知っておいて、そののちに病の脈状が現れていないかを知るべきです。〔王注に従う〕

王注
夫れ病、府に入らば則ち愈ゑ、藏に入らば則ち死す。故に死生の期準は、之を知るを以て察するなり。
病の府に入った場合は愈え、藏に入った場合は死ぬ。故に死生の期準(死生の分れ目が何時になるか)は、病が府に入ったか藏に入ったかを判断して察するのである。

10-2 真藏脈見者勝死。

《読み下し文》 真藏脈、見はるる者は、勝たれて※死す。
※勝・・・反訓で、「勝ち滅ぼされる」という意となる。

《現代語訳》 真藏脈が現れている者は、各々の藏の時に対する相剋関係において、勝ち滅ぼされた場合は死にます。〔王注による〕

王注
いはゆる真藏脈とは、真肝脈の至るは、中外、急なりて、刀刃を循(なづ)るが如く、責(きびしく圧力をかける)責然として琴瑟の絃を按ずるが如し。真心脈の至るは、堅くして搏(う)ち、薏苡(ヨクイ、はとむぎ)子を循づるが如く、累累然たり。真脾脈の至るは、弱くして、乍ち數なりて、乍ち疏なり。真肺脈の至るは、大いなれど虛(むな)しく、毛羽の人膚に中(あた)るが如し。真腎脈の至るは、搏ちては絕ゑて、石を指彈する如く、辟(あしなえ、かたよっている)辟然たり。几そ此れ五つは、皆な、真藏脈を得れども胃氣無きの謂ひ也。《平人氣象論》に曰ふ、胃は平人の常氣なりて、人の胃氣無きを逆と曰ひ、逆せる者は死すとは、此れ之が謂ひ也。勝つは死すとは、己の時に勝剋すれれば則ち死すの謂ひ也。《平人氣象論》に曰く、肝、見はれれば庚辛(肺・金剋木)に死し、心、見はれれば壬癸(腎・水剋火)に死す、脾、見はれれば甲乙(木)に死し、肺見はれれば丙丁(心)に死し、腎、見はれれば戊己(脾)に死すなり。是れ「勝死」の謂ひ也。

10-3 足太陽氣絕者、其足不可屈伸、死必戴眼。

《読み下し文》 足の太陽の氣、絕する者は、其の足、屈伸す可からず、死せば必ず戴眼す。

《現代語訳》 足の太陽脈の気が絶えた場合は、下肢を屈伸することができなくなり、死ねば必ず眼球が上方に上がります。

11-1帝曰、冬陰夏陽奈何。
岐伯曰、九候之脈、皆沈細懸絕者爲陰、主冬、故以夜半死。盛躁喘數者爲陽、主夏、故以日中死。

《読み下し文》 帝曰く、冬陰、夏陽は奈何。
岐伯曰く、九候の脈、皆な沈細にして懸絶(懸は宙に浮いている、懸絶でひどく離れているさま)する者は陰たりて、冬を主るが故に、夜半を以て死す。盛躁にして喘數なる者は陽たりて、夏を主るが故に、日中を以て死す。

《現代語訳》 黄帝が言うには、冬陰、夏陽に死ぬ場合はどうだろうか。〔王注〕
岐伯が答えて言うには、九候の脈が皆な沈細で、飛び飛びにかけ離れている者は陰であり、この気は冬を主る気なので、夜半に死にます。脈が盛躁で、呼吸が喘々いう者は陽で、この気は夏を主るものなので、昼の盛りに死にます。

王注
言死時也。
死する時を言ふ也。
死ぬ時のことを言っているのである。

11-2 是故寒熱病者、以平旦死。熱中及熱病者、以日中死。病風者、以日夕死。病水者、以夜半死。其脈乍疏乍數乍遲乍疾者、日乘四季死。※形肉已脫、九候雖調、猶死。

《読み下し文》 是の故に、寒熱病の者は、平旦を以て死す。熱に中り、熱病に及ぶ者は、日中を以て死す。風を病む者は、日夕を以て死す。水を病む者は、夜半を以て死す。其の脈、乍ち疏、乍ち數、乍ち遲く、乍ち疾き者は、日(=陽気)、四季に乘(陽気が陰気をしのぐこと)ずれば死す。※形肉、已に脫すれば、九候、調ふと雖も猶ほ死す。

《現代語訳》 同じ理由で、寒熱病の者は、日の出の時刻に死にます。熱に中って、熱病に至った者は、日のさなかに死にます。風を病む者は、日の暮れに死にます。水気に病む者は、夜半に死にます。脈が疏らになったり、速くなったりする、あるいは遲くなったり、疾くなったりする者は、日(=陽気)陽気が陰気をしのぐようになると死にます。※身体の肉が痩せ落ちてしまっていれば、九候の脈が調っていても、やはり死にます。
※この一文は、単に付け足しただけのようで、文意が通っていない。

12-1 七診雖見、九候皆從者不死。
12-2 所言不死者、風氣之病及經月※之病、似七診之病而非也、故言不死。
12-3 若有七診之病、其脈候亦敗者死矣、必發喊噫。


※月 太素、敦煌医書では「間」

《読み下し文》 七診、見はるると雖も、九候、皆な從ふ者は死せず。
言ふ所の死せずとは、風氣の病、經間の病(月を經るに及んで病むに之りたる)は、七診の病に似て非なるが故に、死せずと言ふ。
若し七診の病、有れば、其の脈の候も亦た敗れたる者は死するなりて、必ず喊 (カン、さけ-ぶ) 噫(イ、おくび、げっぷ)を發す。

《現代語訳》 七死脈が現れていても、九候脈が調っている者は死にません。
私が言う「死なない」とは、風気の病、あるいは経脈の間に邪気が入っただけのものは(風気の病が身体に著いたあげく、ひと月も經ってから本物の病に至ったとしても)、七死脈の現れるような死病とは似て非なるものなので、死なないという言い方をしたのです。
もし七死脈が現れている病人で、その九候脈もまた不調であれば死ぬのであり、必ず喊 (さけ)び声を発したり、 噫(おくび)を発するものです。

王注
七診、見はるると雖も、九侯、從ふ者は死せず。若し病、同じくして、七診の狀なれど、脈、應に敗亂せむとするは、縱(たと)ひ九候、皆な順へど、猶ほ生くるを得ざると言ふ。
森注
此に云ふ所の七診の病とは、即ち前文の〈一〉陰、〈二〉陽、〈三〉寒熱、〈四〉熱病、〈五〉病風、〈六〉病水、〈七〉肉脱、是れなり。若し此の證候、有らば、而其の脈、應に敗れむとせざらば死せず、其の脈、應に敗れむとする者は必ず死す。云所の脈候、敗るる者とは、乍ち疎、乍ち數の類ひなる耳。

王冰は「七診」については七死脈の事としているが、森立之はこの前段までに述べられている七症状の事だとしている。

13 必審問其所始病、與今之所方病、而後各切循其脈、視其經絡浮沉、以上下逆從循之。其脈疾者不病、其脈遲者病、脈不往來者死、皮膚著者死。

《読み下し文》 必ず其の病の始まる所と、今の方(まさ)に病む所を審問し、而る後、各々其の脈を切循し、其の經絡の浮沉を視、以て上下逆從(從は取らない・復義偏詞)して之を循らす。其の脈、疾ければ病まず、其の脈、遲き者は病み、脈の往來せざる者は死し、皮(いわゆる皮膚)膚(=肉、森注)の著く者は死す。

《現代語訳》 必ずその病の始まる所と、今まさに病む所を審らかにして、その後、九候脈の廻る箇所を切して循らせ、その經絡の浮沈を視、上下が従うように循らせます。その脈に勢いがあれば病んでおらず、遅い者は病んでいるのであり、脈の往来していない者は死にます。皮膚と肉が着いてしまっている者も死にます。

《記》ここにいう「膚」とは肉の事だと森立之が注しており、至極当然のこととはいえ興味深い。
森注 膚とは肉なり。蓋し平人の皮膚は、肥痩を問わず。豊満充實の氣、有ると自(いへど)も、今は其の氣の至ること無し。故に羸痩骨立すれば、皮と膚との分界、相ひ附著して枯萎するなり。今、國の俗目に凡そ痩小の人を「唯だ皮骨、存するのみ」と曰ふは是れなり。

14 帝曰、其可治者奈何。
岐伯曰、經病者治其經、孫絡病者治其孫絡血、血病身有痛者治其經絡。其病者在奇邪、奇邪之脈則繆刺之。

《読み下し文》 帝曰く、其の治すること可なる者は奈何。
岐伯曰く、經病の者は其の經を治し、孫絡病の者は、其の孫絡の血を治し、血病の身に痛み有る者は、其の經絡を治す。其の病の奇邪に在り、奇邪の脈なれば則ち、之を繆刺す。

《現代語訳》 黄帝が言うには、治療することが可能なものは、どう治療すれば良いのか。
岐伯が答えて言うには、經に病がある者は、その經を治療しますし、孫絡に病がある者は、その孫絡を瀉血しますし、血に病があって身体に痛みがある者は、その經と絡を治療します。病が奇邪で、奇邪の脈であれば、繆刺して治療します。

奇邪之脈について
王注 奇とは奇繆※、不偶の氣の謂ひにして、經脈と繆處せる也。是の故に由って之を繆刺す。繆刺とは、脈の左は右を取り、右は左を取って刺絡する也。
※奇 めづら-し、あや-し、はなは-だ 繆 ビウ くび-る(首をくくる)、いつは-る、あやま-る、まと-ふ、やわらぎ美しいさま
森注 「奇邪」とは即ち「欹(そばだ-つ、かたむける)斜」なりて、古文の叚借なるのみ。其の病むや、正經に於(を)かざりて、絡脈に横支せるを謂ふ也。

15 留瘦不移、節而刺之。上實下虛、切而從之、索其結絡脈、刺出其血、以見通之。

《読み下し文》 留瘦して移らざれば、節して之を刺す。上實下虛なるは、切して之を從(ゆる)め、其の絡脈の結ぼれを索め、刺して其の血を出だし、以て通を見はす。

《現代語訳》 病が留まって身体が瘦せてきて、病が移らなければ、間を置いて治療しなければなりません。上實下虛の場合は、手で撫でて弛め、その絡脈の結ぼれを求めて、刺絡してその血を出して、通じさせます。

森注 「通評虚實論28」云「外中風之病、故痩留著也」案、此云「留痩」與「通評虚實」所云「痩留」同義。「不移」與「著」同義。彼王注云「外風中人、伏藏不去、則陽氣内受。爲熱外燔、肌肉消爍、故留薄肉分、消痩而皮膚著於筋骨也」宜併考。

16 瞳子高者太陽不足、戴眼者太陽已絕、此決死生之要、不可不察也。手指及手外踝上五指留鍼。
瞳子高者太陽不足、「手指及手外踝上五指留鍼。」戴眼者太陽已絕、此決死生之要、不可不察也。〔森立之による錯簡文の配置〕

《読み下し文》 瞳子の高き者は太陽の不足にして、戴眼せる者は太陽、已に絕ゆれば、此れ死生を決するの要なりて、察せざる可からざる也。手の指、及び手の外踝の上、五指に鍼を留む。

《現代語訳》 瞳子の上がってしまった者は太陽の気の不足で、戴眼している場合は、太陽の気が絶えてしまっているので、これが死生を決定する要となり、必ず診なければなりません。手の指、及び手関節の外踝の付近の第五指に鍼を留刺して治療します。

王注では「手指及手外踝上五指留鍼」を「錯簡文也」としているが、森立之の見解はこれと全く対立している。いわく、
「手指」以下の數字は、宜しく「太陽不足」之下に置きて看るべきにて、亦た是れも倒草(草が一般に下から上へ伸びること)にて、一種の法なるのみ。
「手指」以下の数字は、「太陽の不足」の下に置いてみれば意味が通じるようになる。これは草が下から伸びる如くに、わざわざ逆さにして書いてあるので、一種の修辞法である。

森立之は素問の条文の書き方を是としているのである。

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