素問を訓む・枳竹鍼房
       
 
 
 
 
 
 
 
 
 

  素問・離合眞邪論篇第二十七 読み下しと現代語訳

1-1 黃帝問曰、余聞九鍼九篇、夫子乃因而九之、九九八十一篇、余盡通其意矣。
1-2 經言氣之盛衰、左右傾移、以上調下、以左調右、有餘不足、補寫於榮輸、余知之矣。
1-3 此皆榮衛之傾移、虛實之所生、非邪氣從外入於經也。
1-4 余願聞邪氣之在經也、其病人何如、取之奈何。
2-1 岐伯對曰、夫聖人之起度數、必應於天地、故天有宿度、地有經水、人有經脈。

《読み下し文》 黃帝問ふて曰く、余、九鍼九篇を聞くに、夫子、乃ち因(かさ)ぬるに之に九して九九八十一篇、余、盡く其の意に通ず。
經に言ふ氣の盛衰とは、左右に傾移あれば、上を以て下を調へ、左を以て右を調え、有餘不足あれば、榮輸に補寫すと、余、之を知る。
此れ皆な榮衛の傾移は、虛實の生む所にして、邪氣の外より經に入るに非ざる也。
余、願はくは、邪氣の經に在るや其れ病める人は何如、之を取ること奈何を聞かむ。
岐伯對へて曰く、夫れ聖人の度數を起こすは、必ず天地に應ずるが故に、天に宿度有り、地に經水有り、人には經脈有るなり。

《現代日本語訳》 黄帝が問うて言うに、私は九鍼の九篇について聞いていたが、先生はさらに九倍して、九九八十一篇を説いて下さり、私は盡くその意味が分りました。
また經にある通りに、気の盛衰というものは左右に傾きがあれば、上を以て下を調え、左を以て右を調え、有余・不足があれば栄穴・兪穴に補寫して調えるということが、私にも分りました。
このような血液と神経系の偏りは、身体の虚実によって起るもので、外邪が経脈に入って起こすものではない。
この上は、外邪が經に入った場合に病人はどうなるのか、また治療はどのようにすれば良いのかを、私は聞きたいのだが。
岐伯が答えて言うには、そもそも聖人が天地を観測するための基準というものを決めたのは、当然、天地に応ずるものを基準にしたのです。よって天には宿度(28の星座と、その天周三百六十五度中に占める位置…詳しくは八正神明論・1-4の王注)を決め、地には大きな河(後の王注)を決め、人の身体には経脈を取り決めました。

2-2 天地溫和、則經水安靜、天寒地凍、則經水凝泣。天暑地熱、則經水沸溢。卒風暴起、則經水波涌而隴起。

《読み下し文》 天地溫和なれば則ち、經水、安靜なりて、天、寒く、地、凍ゆれば則ち、經水、凝泣す。天、暑※1く、地、熱※2ければ則ち、經水、沸きて溢る。卒かに風、暴起すれば則ち、經水も波だち涌きて隴※3起す。

※1暑 炎熱のさま
※2熱 温度が高い、焼き焦がす、憂い苛立つ
※3隴 (名)をか <高い丘>、うね

《現代日本語訳》 天地が温和であれば、經水も安静であり、天が寒く、地が凍(こお)っていれば、河や大湖の水も凍り固まります。また、天が暑く、地が熱ければ、經水も沸きて溢れますし、卒かに風が暴れ吹けば、經水も波だち涌いて丘のようにうねり立ちます。

2-3 夫邪之入於脈也、寒則血凝泣、暑則氣淳澤、虛邪因而入客、亦如經水之得風也、經之動脈(經脈之動※1)、其至也亦時隴起。

《読み下し文》 夫れ邪の脈に入るや、寒ゆれば則ち血、凝泣し、暑ければ則ち氣は淳澤※2なり。虛邪、因(かさ)ねて入り客せば、亦た經水の風を得る如くなりて、經、脈を動かし、其の至るや(経脈の動きは、それが極まると※1)、亦た時に隴起す。

※1 隨順經脈之動息 ここに王冰が「經脈之動息」と注文を書いているところから、郭靄春は素問の本文も「經之動脈」ではなく「經脈之動」が本来の文だろうと注している。
※2淳澤 淳(動)そそぐ (形)あつ-し 人情があつい 澤(名)うるほ-ひ (動)うるほ-す、よろこ-ぶ 

《現代日本語訳》 同じように邪が脈に入れば、気候が寒ければ、血も凝り固まり、暑ければ、気もゆったりとします。そこへ虛邪が因(かさ)ねて入ると、これも、また(2・2天暑く地熱ければ則ち經水、沸溢するのと同様に)河や湖水に大風が吹くごとく、經脈は血管を動かし(経脈の動きは※1)、それが最大限に至れば、これも大きく隆起することがあります。

2-4 其行於脈中循循然、其至寸口中手也、時大時小、大則邪至、小則平、其行無常處、在陰與陽、不可爲度。

《読み下し文》 其の脈中を行るや循循然たるも、其の寸口に至るが手に中(あつ)るや、時に大なり時に小なりて、大なれば則ち邪の至りなり、小なれば則ち平なりて、其の行(めぐ)るは常に處(を)るところ無く、陰と陽とに在りて、度※を爲す可からず。

※度 (名)のり 基準、法度

《現代日本語訳》 邪気が脈中を廻るときは、経脈の気のままに従っているが、寸口で治療者が脈を診た時には、時には大きく、時には小さい拍動となり、大きい時は邪気が極まっているのであり、小さい時は平と判断してよい。その廻りは常に決まった所を廻るということがなく、陰と陽とを問わず廻っているので、基準とすべきものを決めることができない。

2-5 從而察之、三部九候、卒然逢之、早遏其路。

《読み下し文》 從(よ)つて之が三部九候を察し、卒然として之に逢へば、早く其の路を遏(た)つ※。

※遏 とど-む た-つ さへぎ-る そこな-ふ

《現代日本語訳》以上のことに基づいて、病人の三部九候脈を診察し、急に邪気の侵入に気づいても、早急にその路を断たなければなりません。

3-1 吸則內鍼、無令氣忤、靜以久留、無令邪布、吸則轉鍼、以得氣爲故、候呼引鍼、呼盡乃去、大氣皆出、故命曰寫

《読み下し文》 吸ふときには則ち鍼を內(い)れ、氣をして忤(みだ)れ令めず、靜かにして久しく留め、邪をして布(ひろ)め令めず。吸ふときには則ち鍼を轉じ、以て得氣せるを故(ゆゑ)と爲し、呼(は)くを候ひて鍼を引き、呼(は)き盡くして乃ち去れば、大氣、皆な出づ。故に命づけて寫と曰ふ。

《現代日本語訳》(これは真気を補ってから寫法する方法についてですが、…王注による)まず患者が息を吸う時に鍼を入れ、患者の気を乱れさず、静かに長く鍼を留め、邪気を広めさせずに、真気を補います。その次に患者が息を吸う時に、今度は鍼の仕方を変え、得気できるまで待ちます。それから患者が息を吐くのに従って鍼を抜き、患者が吐き盡すと同時に鍼を去れば、邪気は皆な出ます。これを名づけて寫法と言います。

《記-1》3-1 についての王冰の注。
經旨を按ずるに、先づ真氣を補ひて、乃ち其の邪を寫す也。何を以てか之を言ふ、下文の補法は、呼(は)き盡くして鍼を內れ、靜かにして久しく留む、と。此の段の寫法(3-1 に書いてあること)は、吸ふに則ち鍼を內れ、又た靜かにして久しく留む、と。然るに呼き盡せば則ち次いで其れ吸ひ、吸ひ至れば則ち呼(は)くを兼ねずして(同時にしないで)、鍼を內れ、既同なるを(前と同じであるか)候ひ、久しく留めるの理も、復た一にして則ち、先づ補ふの義、昭然として知る可し。
《記-2》 島田隆司「素問講義」より
呼吸の補冩とは、このような補寫法をする。補冩法で最も大事なのは呼吸だろう。次いで開闔。迎随の補寫は、経脈の流れに逆らうか従うかというレベルの解釈では、ほとんど意味がないのではないか。やはり基本は呼吸の補寫で、呼吸を間違えると、本当に患者は苦しい。

3-2 帝曰、不足者補之奈何。
岐伯曰、必先捫而循之、切而散之、推而按之、彈而怒之、抓而下之、通而取之、外引其門、以閉其神。

《読み下し文》 帝曰く、不足する者に、之を補ふは奈何。
岐伯曰く、必ず先づ捫※(な)でて之を循らし、切※りて之を散じ、推して之を按(お)さへ、彈(はじ)きて之を怒(はげ)※まし、抓(か)きて之を下し、通して之を取り、外へ其の門を引き、以て其の神を閉づ。

※捫 モン と-る、な-づ(なで-る)、ひね-る  揚上善「先上下捫摸(さぐる)、知病之所在」 ※切 揚上善「以指揣切、令邪気不聚」
※怒 はげ-む 奮い立つ

《現代日本語訳》 帝が言うには、気が不足する者に補法を行なうにはどうしたらよいのか。
岐伯が言うには、必ずまずは手で捫(な)でて気を循らし、気が滞っている場合には切るようにして散らします。鍼孔を推して按(おさ)えるまでには、彈(はじ)いて怒(はげ)ます、鍼で抓(か)いて下すなどして、經脈を通じさせて邪を除き、外へと其の門から引いて出し、最後に神気が出て行かないように鍼孔を閉じます。

3-3 呼盡內鍼、靜以久留、以氣至爲故。如待所貴、不知日暮、其氣以至、適而自護。

《読み下し文》 呼(は)き盡して鍼を內れ、靜かにして久しく留め、以て氣、至れば故(ゆゑ)と爲す。貴き所を待つ如く、日の暮るるを知らず、其の氣、至らば、適ひて自(おのづか)ら護る(治療の目的が達せられて、自然に気によって体が護られることになる)。

《現代日本語訳》 鍼の刺法としては、患者が息を吐き盡したときに鍼を入れ、静かに長く留めて、気が鍼下に至るを以て補法の目的が達せられたことになります。これには時間がかかりますので、貴人を待つように、日の暮れたことも気づかぬくらいの気長さで待たなければなりません。鍼下に気が至れば、治療の目的が達せられ、自然に気によって体が護られることになります。

3-4 候吸引鍼、氣不得出、各在其處、推闔其門、令神氣存、大氣留止、故命曰補。

《読み下し文》 吸ふを候ひて鍼を引き、氣、出づるを得ざるは、各々其の處に在り、其の門を推闔し、神氣をして存(のこ)ら令めば、大氣、留止するが故に、命づけて補と曰ふ。

《現代日本語訳》 患者が息を吸うのを待って鍼を抜き、その時に気が鍼孔から漏れ出ることのないようにするには、その処置法というものがある。鍼孔を推し閉じて、神気が患者に残るようにすれば、神気が留められるので、名づけて補法と言うのです。

4-1 帝曰、候氣奈何。 岐伯曰、夫邪去絡入於經也、舍於血脈之中、其寒溫未相得、如涌波之起也、時來時去、故不常在。

《読み下し文》 帝曰く、氣を候ふは奈何。
岐伯曰く、夫れ邪の絡を去つて經に入るや、血脈の中に舍り、其の寒溫、未だ相ひ得ず、如(も)し涌波の起るや、時に來り時に去るが故に、常には在らず。

《現代日本語訳》帝が言うには、気を候うにはどうすればよいのだろうか。
岐伯が言うには、邪が絡を去って經に入ると、血脈の中に宿りますが、そもそも外気の寒温というものは落ち着かないものなので、もし寒温による涌波が起れば、その波は時々に来て去るものなので、絡脈から経脈の血管に入った邪も、常に一定の場所にあるわけではありません。

4-2 故曰方其來也、必按而止之、止而取之、無逢其衝而寫之。

《読み下し文》 故に方に其の來たるや、必ず按さへて之を止め、止めて之を取り、其の衝(つ 打ちつける)くに逢はずして寫せと曰ふ。

《現代日本語訳》 したがって、その邪気が経脈の中をやってきた時に、必ず按さえてその場所に止め、止めたまま瀉法で取る。その身体に打ちつける前に寫してしまうのだと教えているのです。

《記》 ここに対応する霊枢・九鍼十二原の条文
14 其來不可逢。  正気が廻ってくる場合には、迎えて瀉してはならない。
17〔粗工〕往者爲逆、來者爲順。
 粗工は廻り去る気(正気)を迎え撃ち、廻り来る気(邪気)には随う治法をする。
素問は、九鍼十二原の条文を用いて、自論を述べようとしているが、目的を達しているとは言えないのである。

4-3 真氣者經氣也、經氣太虛、故曰其來不可逢、此之謂也。

《読み下し文》 真氣とは經氣なるや、經氣、太ひに虛すが故に、其の來たるや逢ふ可からずと曰ふは、此れ之が謂ひ也。

《現代日本語訳》 真気とは經気のことであるが、経気が大いに虛しているときには、邪気の来襲に立ち向かってはいけないと言うのは、このことです。

4-4a 故曰候邪不審、大氣已過、寫之則真氣脫、脫則不復、邪氣復至、而病益蓄。故曰其往不可追、此之謂也。

《読み下し文》 故に曰く、邪を候ひて審らかならざれば、大氣(邪氣)は已に過ぐ、之を寫せば則ち、真氣、脫す。脫すれば則ち復(かへ)らざりて、邪氣は復び至り、病、益々蓄(たくわ)ふ。故に曰く、其の往くは追ふ可からずとは、此れ之が謂ひ也。

《現代日本語訳》 したがって、邪を候ってみても明確なことが分らないなら、大気(邪気)はすでに過ぎ去ったと考えてよい。この上に寫法をほどこせば、真気は脫することになる。そうなれば真気は復することができないため、邪気が再び至り、病がますます蓄積することになる、と言います。故に、其の過ぎ去るものは追ってはならない、とは、このことを言っているのです。

《記》 上に対応する霊枢・九鍼十二原の条文
14 其來不可逢、其往不可追。正気が廻って来た時には、迎え撃ってはならない。また邪気が去って行く時には、追って留めるように鍼をしてはならない。

4-4b 不可挂以髮者、待邪之至時而發鍼寫矣。

《読み下し文》 髮を以て挂(か)くる可からずとは、邪の至る時を待ち、鍼を發して寫すなり。

《現代日本語訳》 「髮を掛けることもできない間」という言い方は、邪の至る時を待って鍼を響かせて寫すには、タイミングを推し測って間髪を入れずに寫さなければならないということです。

《記-1》 上に対応する霊枢・九鍼十二原の条文
15 知機之道者不可掛以髪、不知機道、叩之不發。刺抜・運鍼のタイミングが分る工は間髪を入れずに行なうが、分らない工は手控えてしまうので、鍼を効かせられない。
《記-2》この条文に付された王注
輕微なれども有り、尚ほ且つ之を知る、況んや涌波の若(ごと)きは、其の至るを知らざらむや、と言ふ。
毛髪ほどの微細な間が有り、なお且つそれが分るような上工であれば、涌きたつ波のように押し寄せる気であれば、そのやって来るのが分らない訳がない、ということを述べているのである。

この王冰の注は、いささか的外れではないだろうか。

4-4c 若先若後者、血氣已盡、其病不可下。

《読み下し文》 先の若く後の若くとは、血氣、已に盡き、其の病、下す可からざるなり。

《現代日本語訳》 瀉法を行なう前のように、またその後のようにとは、タイミングを前後に逸した寫法だったということです。邪気を瀉すことなく、經脈の血気を寫して真気が盡きてしまったので、病も処置することができなくなったのです。

《記》上に対応する霊枢・九鍼十二原の条文
22 察後與先、若存若亡。爲虚與實、若得若失。 療後とその前を考えれば、(実法の場合は)気が存るがごとくになり、(虚法の場合は)気は亡きが若くになる。虚法と実法を行なえば、気を得ることも失くすことも自在である。

4-4d 故曰知其可取如發機、不知其取如扣椎。故曰知機道者不可挂以髮、不知機者扣之不發。此之謂也。

《読み下し文》 故に曰く、其の機を發するが如く取る可しと知れ、其の椎(う)つを扣(ひかへ)るが如く取るとは知ることなかれと。故に曰く、機の道を知れば髪を以て挂(か)くる可からずと。機を知らざれば之を扣(ひか)へて發せずとは、此れ之が謂ひ也。

《現代日本語訳》 ゆえに弩弓の矢を発射する如く邪を取るべきで、躊躇して手控えてはならないのです。したがって鍼で邪を寫すタイミングを知っている工は、その一瞬には髪を掛ける隙間もないことを知っており、知らない工は手控えてしまい、鍼を響かせて邪を寫すことはできないと霊枢・九鍼十二原に書かれているのはこのことです。

《記》上に対応する霊枢・九鍼十二原の条文
14 知機之道者不可掛以髪、不知機道、叩之不發。刺抜・運鍼のタイミングが分る工は間髪を入れずに行なうが、分らない工は手控えてしまうので、鍼を効かせられないのだ。

5-1 帝曰、補寫奈何。
岐伯曰、此攻邪也、疾出以去盛血、而復其真氣、

《読み下し文》 帝曰く、補寫は奈何。
岐伯曰く、此(ここ)に邪を攻むるや、疾(と)く出だせば以て盛血を去って、其の真氣を復す、

《現代日本語訳》 帝が言うには、補寫についてはどうだろうか。
岐伯が言うには、邪を攻める場合は、鍼を素早く出せば中に鬱滞している血を去って、真気を回復させることができます。

森…「疾出以去其盛血」は、第十六・診要經終に「春は兪を刺して散らす、乃ち理を分くると與(とも)に、血、出づれば止どむ(春は背部兪穴を浅く刺して散らす、つまり肌理を分けるとともに、皮膚の表面から、わずかに血が出たところで止める)」と云ふ。此れと同理なりて、併せて看る可きなり。

5-2 此邪新客、溶溶未有定處也、推之則前、引之則止。逆而刺之、溫血也。刺出其血、其病立已。

《読み下し文》 此に邪、新たに客して、溶溶として未だ定處あらざるや、之を推せば(3-2推而按之)則ち(新邪は)前(すす)み、之を引けば(3-2外引其門、以閉其神)則ち(新邪は)止(とど)まる。逆して之を刺せば、血を溫むるなり。刺して其の血を出だせば、其の病、立ちどころに已む。

《現代日本語訳》 そこで邪が新たに侵入し、まだ窈として定まった場所に舎っていない段階で、邪気を推し按さえれば邪気は経脈の中を進みますが、引けば邪気は止まります。邪気の進行に逆して迎えるように刺せば、血は温まりますし、その血を出せば、病は立ちどころに治ります。

6-1 帝曰善。然真邪以合、波隴不起、候之奈何。
岐伯曰、審捫循三部九候之盛虛而調之。

《読み下し文》 帝曰く善しと。然るに真と邪と、以て合すれど、波隴、起らざれば、之を候ふこと奈何。
岐伯曰く、審らかに三部九候の盛虛を捫循し、之を調ふ。

《現代日本語訳》 帝が言うには、よく分ったと。それでは真気と邪気が合わさったのに、經脈に波だちが起らない場合は、どうすれば分るのだろうか。
岐伯が言うには、詳らかに三部九候脈に盛虛がないか触診して、鍼で調えます。

王注「盛んなれば之を寫し、虛すれば之を補ひ、盛んならず虛さざれば、以て經に之を取るとは則ち、其の法なり」
とあるが、この「盛者寫之、虛者補之、不盛不虛、以經取之」は、霊枢・經脈にある治療法である。この「審らかに三部九候の盛虛を捫循」して盛虚がない場合にも、この方法が使えるものだろうか。

6-2 察其左右上下相失及相減者、審其病藏以期之。

《読み下し文》 其の左右上下、相ひ失し、相ひ減(おとろ)ふるに及ぶを察すれば、其の病める藏を審らかにし、以て之に期す。

《現代日本語訳》 三部九候診の左右上下、いずれもが相い失調し、衰えているのが分ったら、病んでいる藏をはっきりさせて、これに望みをかけて治療をします。

《記》上に対応する霊枢・九鍼十二原の条文
16 知其往來、要與之期。気が廻ってきているのか、去ってゆくのかを知り、必ずそのタイミングに合せよ。
霊枢の 要與之期 の読み方は三通りある。
1. 期を時間の意に取るなら、気の往来する頃合い・タイミングの意味となり、タイミングに合せよ、という文になる。訓読は「要(かなら)ず之が期に與(あづか)れ」。
2. 期を決まった期間の意に取るなら、そこまでを治療期間としろ、という文になる。訓読は「要(かなら)ず之を期と與(な)せ」。
3. 期を期待する・望むの意に取るなら、これに望みをかけて治療せよ、という文になり、訓読は「要(かなら)ず之を期に與(な)せ」。
霊枢・九鍼十二原の前後の流れから考えると、1.の「気が廻ってきているのか、去ってゆくのかを知り、必ずそのタイミングに合せよ」が自然な読み方となるだろう。
だが、この離合眞邪論の引用の仕方では 3.の「これに望みをかける」が、自然な意味の取り方になる。
霊枢の文意とは違っている。

7-1 不知三部者、陰陽不別、天地不分。地以候地、天以候天、人以候人、調之中府、以定三部。故曰刺不知三部九候病脈之處、雖有大過且至、工不能禁也。

《読み下し文》 三部を知らざる者は、陰陽を別たず、天地も分けず。地は地を候ふを以てし、天は天を候ふを以てし、人は人を候ふを以てし、之が中府を調へ、以て三部を定む。故に曰く、三部九候の病脈の處を知らずして刺せば、大過有りて且つ至ると雖も、工、禁(とど)む能はざるなりと。

《現代日本語訳》 自然と人間の天地人・三部について理解のない者は(三部九候脈診の知識のない者は…森注)、陰陽・天地についても区別がつかず、理解しないままです。地は地の脈を窺い※、天は天の脈を窺い、人は人の脈を窺うことで、身体の五藏を調え、以て三部を安定させるのです。故に三部九候の病脈の原因も分らずして鍼を用いれば、邪気が去ったり、また再び襲ってきても〈森注〉、工はそれを止めることができない、と言います。

《森注》 「大過」とは、前文に云ふ所の「4-4a 大氣、已に過ぎる」なり。「且(まさ)に至らむ」とは、前文に云ふ所の「4-4a 邪氣復至」なり。
《楊注》足厥陰爲天(五里)、足少陰爲地(太谿)、足太陰爲人(箕門)、以候肝腎脾胃三種地也。手太陰天(經渠)、手陽明地(合谷、陽谿)、手少陰人(神門)、以候肺胸心三種人也。兩額動脈之天(頷厭)、兩頬動脈之地(巨髎)、耳前動脈之人(和髎)、以候頭角口齒耳目三種点也。中府、五藏也。欲調五藏之氣、取定天地人三部九候之也。
《張介賓注》 中府、藏氣也。凡三部九候脈證、皆以藏氣爲主、氣順則吉、氣逆則凶、故調之中府。
《記》また森立之は以下のように注しており、これも興味深い。
前には「不知三部」と云ひ、此には「不知三部九候病脈之處」と云ふ。乃ち此に詳らかにして彼には略し、古文は一體を爲すのみ。

7-2 銖罰無過、命曰大惑、反亂大經、真不可復。用實爲虛、以邪爲真。用鍼無義、反爲氣賊、奪人正氣。以從爲逆、榮衛散亂、真氣已失、邪獨內著、絕人長命、予人夭殃。不知三部九候、故不能久長。

《読み下し文》 (正氣を)銖罰して(邪氣が)過ぎざれば、命けて大惑と曰ひ、反つて大經を亂し、真(氣)は復す可からず。實を用つて虛と爲せば、邪を以て真と爲さむ。鍼を用ゐるに義、無ければ、反つて氣賊を爲し、人が正氣を奪はむ。從を以て逆と爲せば、榮衛は散亂し、真氣、已に失はれれば、邪、獨り內に著けば、人が長命を絶ち※1、人が夭※2殃2※に予(あづか)らむ。三部九候を知らざるが故に、久長は能はざるなり。

※1 霊枢・九鍼十二原「2 余哀其不給(終太素)而屬有疾病」
※2 夭 エウ わかじ-に を-る(折る) わざは-ひ
※2 殃 ヤウ、アウ わざは-ひ そこ-なふ

《現代日本語訳》 経脈の正気を銖(う)ったあげくに邪気が去らないものを、名づけて大惑といい、これは却って經脈を乱し、真気も復すことができない。実を以て虛としてしまうということは、邪を以て真気に替えることと同断です。鍼を用いるに義がなければ、却って経気に害をなし、人より正氣を奪うことになります。補う(從)べきところを寫して(逆)しまえば、榮衛は散乱しますし、真気が失われてしまえば、邪気だけが身体に著き、人の長命を絶ち、人に夭死をもたらします。三部九候に基づく治療を知らざるがゆえに、久長は叶わなくなるのです。

7-3 因不知合之四時五行、因加相勝、釋邪攻正、絕人長命。

《読み下し文》 因(かさ)ねて四時五行に合わすをも知らざれば、因(よ)つて加々(ますます)相ひ勝※(ほろぼ)され《因ねて加々相ひ勝ち・・・さらに邪気がますます勝り》、邪の正を攻むるを釋(ほしいまま)にし、人の長命を絶たむ。

※勝 反訓として形容詞の「すでに滅ぼされたさま」意に取ることができる。 勝國、勝朝…前王朝に倒された国、王朝

《現代日本語訳》 それに加えて四時の運行、五行の相生・相剋に合致した生活を送ることも知らなければ、身体はますます邪気に滅ぼされ《さらに邪気がますます勝り》、邪気はほしいままに正気を攻めつづけ、人の長命は絶たれるでしょう。

7-4 邪之新客來也、未有定處、推之則前、引之則止、逢而寫之、其病立已。

《読み下し文》 邪の新たに客し來たるや、未だ定處有らざりて、推せば則ち前(すす)み、引けば則ち止まり、逢ひて(2-5)之を寫せば、其の病、立ちどころに已むなり。

《現代日本語訳》 邪が新たに侵入して来たる場合、当初はまだ定まった在り処というものはないので、鍼の作用を以て推せば經脈の中を前方へ進み、誘引すれば止まり、邪を迎えて寫せば、その症状は立ちどころに止みます。

王注「之を再言するは、其の法、必然なればなり」 5-2 の文をくりかえしている理由を説いている。

『素問攷注』 離合真邪論篇末記
「辛酉十月五日達磨忌日頓悟自述。五十五年猶若童、守愚養拙、未見功、一朝豁解生成理、二九維文悉貫通。 再醒翁立之書 文久辛酉十月朔丙辰午時書於恐泥書屋南箱■(木へん+拑+小)渓山人磊齋 立之」

文久元年(1861年)十月五日達磨忌日、頓悟して自ら述ぶ。五十五年も、猶ほ童の若く、愚を守り拙を養ひ、いまだ功、見(あら)はれざるも、一朝、豁解して成理を生(な)し、二九の維文、悉く貫通せり。再醒翁 立之書す。
文久元年辛酉 十月五日朔丙辰の日、午の時に、恐泥書屋にて書す、南箱檅渓山人磊齋 立之

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