【論旨】
《一》
皮寒熱・肌寒熱・骨寒熱についての病状説明と治療法を論ずる。この皮・肌・骨は、寒熱の程度を表す呼称で、解剖上の皮膚、骨などではない。肌は肌肉のこと。
続いて骨厥、骨痺、體惰、厥痺の症状と治療法を論ずる。
《二》
頸の周囲にある五大輸として、人迎、扶突、天牖、天柱、天府を論ずる。
続いて角孫、懸顱、眼系を論ずる。
続いて、熱厥、寒厥、舌縱んで涎下り煩悗する場合の治療法を論ずる。
《三》
虚症、実証の患者、春夏秋冬の時節による刺法を論ずる。また四時それぞれの治療箇所が身体のどの部位に働きかけるかを論じてある。
《四》
伏兔、腓、背、五藏の兪、項の身の五部を論ずる。ここに癰のある者は死すという。森立之『遊相医話』第二十二話には、小児の瘡瘍を解毒しすぎたために死に至った経緯が書かれているが、当時、瘡、癰とは死に至る病であったことが窺われる。
《五》
手臂、頭首、足脛など病が始まる部位の違いによって、治療部位が異なると論ずる。また発汗させる經脈について論ずる。
《六》
刺の害について論ずる。
【考察】
第一章、第二章は寒熱病の程度・進行によって取穴が変わることが具体的に示されていて興味ぶかい。とくに第二章において治療穴として少陽は光明、陽明は解谿、少陰は太谿と具体的に上げており、甲乙經は陰交、魚際、尺沢をを挙げており、当時の取穴の精彩を知
ることができる。
○第二章「足陽明、有挾鼻入於面者、名曰懸顱、屬口對入繋目本」の条文があるが、澁江抽齋『霊枢講義』は桂山先生(多紀元簡)曰くとして、「口對蓋指玉枕下邊而言。脳疽有對口發稱、可以見耳」と『靈樞識』の条文を記している。これは恐らくは抽齋が霊枢の口對と、桂山先生の言った口對を混同しているのである。霊枢の条文は、「口に属(つらな)り、對は目本に入り繋がる」と読み、桂山先生のは「對口發の稱有り」と読むべきだろう。桂山先生の文を読むなら「口對とは蓋し玉枕下邊を指して言う。脳疽は對口發の稱有り、以て見る可きのみ」となる。問題は最初の「口對」と「對口發」の意味している所が若干違うことで、「對口發」は「口に對して發する」の意で、脳梗塞の言語障碍をさしている。また「口對」はこの言語障碍を治療できる私方穴のことで、それが玉枕の下あたりにあると言っているのである。これが念頭にあったので、抽齋は霊枢の「口に属(つらな)り、對(支脈)は目本に入り繋がる」を「口對に属(つらな)り、目本に入り繋がる」と読み違えたのであろう。