素問を訓む・枳竹鍼房
       
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
素問を訓む・ニコス堂鍼灸院

 

素問・痺論 第四十三

 

素問・痺論ノート

痺論は関節リウマチを説明する時などによく引かれる篇であるが、多紀元簡はこの痺論に現れる痛風歴節※だけが、素問で論じられている痺ではなく、總じて四種類あるとしている。
「經中の痺に四義有り。① 病、陰に在るの總稱を爲す者ありて、『壽夭剛柔篇』に見らる。② 專ら閉塞の義を有する者ありて、食痺、喉痺の如きは是なり。③ 麻痺の痺たるものありて、王(冰)注に云う痺は是なり。④ 痛風歴節の義を爲せるものありて、本篇の行痺・痛痺・著痺の類、是なり。此の他、總じて離れざるか閉塞の義あり、學者は宜しく細玩すべし」

※歴は、「こえる、通り過ぎる」「あまねく」「ことごとく」の意がある。

≪Ⅰ≫
黄帝が痺はどこから生じるのか、と問うたのに対して、岐伯は風・寒・湿の三気が雜(まじ)って痺となるのだと答えている。
【 考  察 】 この箇所は「三氣雜至合而爲痺」が原文で、諸注家は触れていないが、この「合」は後に出る、内の入口としての「合」でなければならない。≪Ⅲ≫の王注にある肝合筋、心合脈、脾合肉、肺合皮、腎合骨であるが、ここを入口として内に入り、痺となるというのが論旨である。

≪Ⅱ≫
≪Ⅰ≫の行痺・痛痺・著痺だけでなく、邪に侵された場合、四時に応じて藏が痺の症状を現す、という素問流の論である※。冬の場合は骨痺、春は筋痺、夏は脈痺、至陰には肌痺、秋は皮痺ということになる。この場合の至陰は、四季それぞれが旺ずる中央の時期に、至陰が訪れることになるのではないかと考える。
※非常に大雑把なまとめ方をするが、四時に従って病が起り、これを治療する際にも、その適する時宜に従って鍼をすべきであるというのが、素問の基本的な考え方である。一方、病のある経脈の、気の発する所を治療するというのが霊枢の基本的な考え方と言えるだろう。この「痺論」もそうだが、「厥論」にしても、王冰が長々と経脈の流れを注している箇所が多々ある。私は長い間、何故このような煩瑣な注釈の仕方をするのか怪訝に思っていたが、王冰や顧從徳の当時、素問のみ読むことができて、霊枢を読むことのできなかった医家のことを考えれば、至極当然のことと最近になって納得できるようになった。

≪Ⅲ≫
五藏にはそれぞれ合があり、それは肝合筋、心合脈、脾合肉、肺合皮、腎合骨である。骨痺を例にとるならば、病(この場合、多紀元簡の言うように痛風歴節、すなわち痛み)が骨から久しく去らなければ、それは骨痺となって定着する。骨痺が癒えぬまま、さらに邪に侵されると、病はさらに藏にまで進んで腎に舎(やど)ることになる。

≪Ⅳ≫
五藏の痺の症状を述べる。
肺痺は煩滿し、喘して嘔す。
心痺は脈が通ぜず、心下で鼓を打つように動悸し、にわかに上気して喘し、喉が乾き、よく噫(おくび)が出る。厥気して上に気が登ると、理由なく恐れるようになる。
肝痺は就寝中に大声を出して騒ぐようになり、よく水を飲み多尿となる。上半身に、懐妊したときのように引き付けられるようになる。
腎痺は、腹が張り、くる病のように尻でいざり、背中が頭より高くなる。→ a
脾痺は、上肢・下肢に力がなくなり、咳が出て、唾や胃液を吐くようになり、喉のほか頭部も塞がったようになる。
腸痺は、多飲しても小便が出ず(小腸の症状)、胃の中は喘爭し、時々下痢をする(大腸の症状)。→ b
胞痺は、下腹を按ずると内に痛みを感じ、膀胱からは盛んに小便が出る(沃すること以って湯-トウ-の若し)。→ c
小便が澀るようになると、目鼻から冷たい涙・鼻水が出るようになる。

【考察】
a. 荘子・大宗師第六に同様の記述がある。子箆(しよ)が病気になった様を著している箇所である。「曲僂背に發し、上に五管あり。頤(あご)は齊(へそ)に隱れ、肩は頂(あたま)より高く、句贅(コウゼイ・髷のもとどり)は天を指す」

b. 森立之は、腸痺の症状であると書いてあるが、この症状はそれぞれ、小腸・胃・大腸の症状であると指摘している。
さらに傷寒論・厥陰篇に「少腹滿、按之痛者、此冷結在膀胱関元也」とあり、これと同文例だとしている。

c. 原文は「胞痺者、少腹膀胱、按之内痛、若沃以湯」である。森立之はこれは倒置文で、「少腹、按之内痛、膀胱、若沃以湯」と読むべきだと指摘している。
筆者が考えるには、湯は、文字通り温水のことではなく、トウと音読みして、小便が勢いよく出る様と考えるべきではないか。湯トウは、騰、滔、蕩に通じ、いずれも水が盛んに出るさまを表す字である。

≪Ⅴ≫
二つの文のみが、紛れ込むように入っている。
「陰氣は靜なれば神を藏しており、躁なれば消亡す。飲食自ずから倍(ふ)え、腸胃は傷るに及ぶ」とある。

≪Ⅵ≫ 淫気が痺を生ずる
「淫気」について、楊上善は「淫は過(過多)である」とし、多紀元簡と森立之は素問・生気通天論にある「風が気に客淫する」という考え方と同じであるとしている。この後、≪Ⅳ≫に出た「凡痺之客五藏」は、この≪Ⅵ≫の「淫気」「痺聚」と生気通天論の「風客淫気」と、正合していると指摘している。※
嶋田隆司は「痺が聚って藏に在る」状態は、素問・大奇論48に同様に論じてあると指摘している。
【 考  察 】淫気肌絶、痺聚在脾」について、太素は「飢絶」であり「在胃」だとしている。森立之もこれに同意して「肌絶、不成語。亦從太素、爲是」と記している。こうした記述に、私は楊上善に対する深い傾倒をみる思いがする。※また先の多紀元簡の生気通天論の読みに対しては、立之の強いライバル意識のようなものを感じるが、深読みが過ぎるだろうか。

≪Ⅶ-1≫
黄帝が痺を病んで死ぬ者があり、長く病む者があり、あるいはすぐに治る者があるのは何故かと問う。岐伯は、藏に入った者は死に、筋骨の間に留まるものは長く病み、皮膚に留まった者は治りやすい、と答える。
森立之は、水気、疝気、脚気の類は、藏に入れば必ず死ぬと注する。

≪Ⅶ-2≫
黄帝が、痺は六府に客することもあるのは何故かと問う。岐伯は、飲食物や居住の場所が影響するのだと答えている。

≪Ⅶ-3≫
痺を鍼で治療する方法について。
楊上善の注として、六府の痺を治療するには、その合を取れ、藏府の兪合には脈気の発する所があるので、これを伺って責めよとしている。

≪Ⅶ-4≫
栄衛の気が、痺を起こさせる場合について。
栄は水穀の精気であり、脈の中を循り、五藏を和調せしめ、六府につらなる。
衛は水穀の悍気で、脈に入ることができず※、皮膚の中・分肉の間を循り※※、肓膜に薫じられ、胸腹に散る。
この栄衛の気と風・寒・湿気が混じり合わなければ痺とならない。

※霊枢・栄衛生会18に、「栄在脈中、衛在脈外」とある。
※※ 【 考  察 】 「循皮膚之中、分肉之間、熏於肓膜、散於胸腹」について、森立之は「分肉者、謂赤肉白膚之分界也。赤肉爲營氣之所行、白膚爲衛氣之所循也」と注している。立之は「皮膚のうちの分肉の間」と読んでいるようだが、素問・霊枢に「分肉之間」とあるのは、分りやすい例でいうなら、腕橈骨筋と長橈側手根伸筋の間(手三里穴)、あるいは、腕橈骨筋と上腕二頭筋の間(尺沢穴)などをいう。邪が分肉の間に潜むとして多く經穴の存在する場所とされる所以で、「皮膚のうちの分肉の間」「赤肉白膚之分界」とまで読む必要はないのではないか。
同様に≪Ⅶ-6≫では、「前文≪2≫に云う肌痺は、此に云う肉なり、肌は即ち肉なると知るべし。白膚の次に赤肌の是なり。この皮と云うはまた膚を兼ねて言うなり」としているが、実際の我々の身体を見るかぎり頷けるだろうか。最もはっきりしているのは、踵の内側の赤白肌の境界線であるが、これとても肌=肉と呼称することができるだろうか。あるいは江戸時代の人と、現代人の身体の相異なのか。

≪Ⅶ-5≫
痺に侵された場合、寒気が多ければ痛み、病久しく深くまで入った時は痛みもなく、力無くなることもない。栄衛の巡りが渋り、經絡の流れが妨げられると、皮膚も栄養されず、全身の力がなくなる。
陰気の少ない場合は凍え、熱気が勝れば痺熱する。湿気に遭うこと甚だしければ、陰陽の気が相い感じて汗が出る。

≪Ⅶ-6≫
痺が骨にあれば体は重く感じ、脈にあれば血が固まって流れず、筋にあれば屈したまま伸びず、肉にあれば力が萎え※、皮にあれば寒く感じる。この五つが一緒に身体に入った場合には、痛むことはない。凡そ痺というものは、寒に遭えば身体が縮み、熱に遭えば弛むものである。

※≪Ⅶ-4≫の※※参照

 
 
素問・痺論ノート
 
 
 
 
 
 
 
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