≪ 厥論45 ノート ≫
厥とは逆気することで、具体的には足の気が頭・頸肩部・上背部にのぼる、あるいは足が冷えて頭頸部が熱したり、気で満ちて塞がったような症状になることである。これほど顕著でなくとも、臨床の場面では往々にして目にする症状である。とくに頭脳労働の多い現代では、全身を動かさず、椅子に座って頭だけ働かせている状態では起りやすい症状で、頭痛や頸肩の凝り、目や鼻の諸症状、喉が塞がる(梅核気)といった症状として現れる。
多紀元簡は総論として、「千金方では凡ての厥を脚気として扱っている。王注でもこれに言及しているので、唐代にはすでにこの説が知られていたのだろう。霊枢・寒熱病では、厥痺とは厥気が腹まで上れば死することがあり、これを特に脚気冲心という」と注している。
傷寒論では「凡そ厥は、陰陽の気、相い順接せざれば、便ち厥を爲す。厥とは手足の厥冷するもの、是なり」と説く。
森立之は「厥とは、本は気逆の名なり。故に凡そ気逆の諸證は、皆、厥の名を得る」と総括している。
≪ Ⅰ ≫ 熱厥・寒厥と陽気・陰気との関係・・・熱厥・寒歇の病理機序
【 論 旨 】
陽気が下(足)に衰えれは寒厥となり、陰気が下に衰えれば熱厥となる。
熱厥の場合には足底が熱く感じる。その理由は、陽気は足指の表に起り、陰脈は足底に集合し、その中心の湧泉穴に集中しているので、陽気が陰気に勝っている時には、足底が熱く感じるのである。
寒厥の場合には、足指から膝まで上ってくるが。その理由は、陰気は足指の裏に起って膝下(=脛)に集まり、膝に集まってくる。したがって陰気が陽気に勝っている時には、足指から膝までが冷える。この冷えというものは、外に原因があるのではなく、身体の内に原因があることになる。
≪ Ⅱ - 1 ≫ 寒厥の病理機序
【 論 旨 】
体質健壮の人が、秋冬に体力を奪われることがあると、秋冬は陰気多く、陽気は少ないのだから、下気(陰気)は溢れ、上に昇って争うことになり、回復不能となることがある。
これについて森立之は「これは腎虚火動して、上熱下冷なり。腎臓の陰精の気の傳うる所は、肺部に上達する能わず。故に水寒は下に流れ、邪気これに乗じ、熱化を爲さずして寒を爲すなり。云う所の少陰病厥逆とは是なり」と注している。
≪ Ⅱ -2 ≫ 飲酒した場合の、熱厥の病理機序
【 論 旨 】
酒が胃に入ると、絡脈は滿ちるが、經脈は虚す。胃を主っているのは脾だが、酒のために経脈が虚しているから、脾を主る陰気も虚して、そこへ陽気が入ってくるから、胃は不和となる。その結果、精気が竭き、四肢を栄養することができなくなる。飽きるほど酔って房事をなせば、気は脾に集まって散ることがなくなる。酒気と本来全身を養う穀気とが相迫って、腹中に熱が盛んになる。故に熱は身内にのみ盛んになり、小便が赤くなる。酒気が盛んで慓悍なところに、腎気が衰える(土剋水=脾剋腎)ので、陰気が衰え、陽気がひとり勝るようになる。それで手足が熱するのである。
【 memo 】
霊枢・經脈「酒は水穀の悍熱の液なり。脾気は從はずして經脈を行る。故に絡脈滿ち、經脈は虚するなり」
霊枢・栄衛生会「酒は熟穀の液なり。その気は悍にして、以て清なるが故に、穀(食物)に後れて入りても、穀に先じて液(小便)出ずるなり」
霊枢・論勇「酒は水穀の精、塾穀の液なり。その気は、慓悍なり。それ胃中に入れば則ち胃脹り、気は上逆して胸中に滿つる」
≪ Ⅲ ≫ 厥逆して人事不詳になる
【 論 旨 】
陰気が上部に盛んになれば下(足)は虚して腹滿する。陽気が上部に盛んになれば、下気は上気に併合し、邪気が逆す。そうなると陽気は乱れて人事不詳になる。
【 注 記 】
森立之「史記扁鵲傳に曰く、太子の病の若きは、いわゆる尸蹷■(ケツ、厥+足)なる者なり。それ以て陽気、陰中に入る・・・。これ以て陽脈は下遂し、陰脈は上に爭う。會気は閉じて通ぜず・・・。太子は、いまだ死せざるなり。それ以て陽、陰に入れば支(手足)は蘭(ただ)れれども、藏は生きる。以て陰、陽に入れば、支は蘭れ、藏も死するなり」
「尸厥の病は、その情機(病理機序)を推するに、陽實して陰を犯せる證に外ならざるなり」
「尸厥とは飲厥なり、肝厥なり。いま往々にして此の證ありて、(症状は)劇なりと雖も必ず兪るなり。其れ『藏に入れば死す』とは、卒中風、中惡の類なり」
【 考 察 】
「尸厥」という言葉で思い出すのは、「蘭軒醫談」に記されている「傳尸」である。これは「勞咳」や「勞」、すなわち江戸時代に恐れられていた結核の病因を考える際に、伊澤蘭軒ほか当時の医師たちが考えた原因で、結核の難治性のものは、痘瘡に原因があると考えられた。
「勞のうちに一種の難治の證あり。極めて胎毒なるべし。此の毒は朱巽の云ふ所の先天の遺毒なり。その痘に發し盡さざるの遺毒、一點の火の如きもの、骨髄假か臓膜か腸胃か潜伏する有りて、思慮鬱結に因て漸々に成長して勞を爲すなり」
上のように「蘭軒醫談」にあり、珍奇な説のように思われるが、痘瘡の盡きなかった遺毒が、一点の火の如く母子感染して体内に潜伏する、という想像は、当時の医家が、どれほど結核を恐れたかを我々に知らしめる。
尸厥、傳尸ともに、「尸」字の付された病を、立之も深く恐れたことが感じられる。同様に立之が恐れと熱意を持って論じたものに「陰陽交」がある(評熱論33)。
≪ Ⅳ ≫ 六經脈の厥と治療法を論じる
【 論 旨 】
巨陽の厥…首が腫れ、頭重し、歩行困難となり倒れる。
陽明の厥…癲癇を起し、大声を出しながら走り、腹が一杯になり、横になることができない。顔が赤く熱し、妄りにあちこちを見て、妄言を言うようになる。
少陽の厥…突然耳が聞えなくなり、頬が腫れて熱し、脇が痛み、脛が痛んで歩けなくなる。
太陰の厥…腹が一杯になり、膨れ、大便が出ない。食欲が亡くなり、食べても吐き、横になることができない。
少陰の厥…口が乾き、小便が赤くなり、腹が一杯になって、心臓が痛む。
厥陰の厥…下腹が腫れ痛み、脹る。婦人の月経、小用が出なくなり、横になっていたがる。膝が曲がり、陰嚢が縮み腫れ、脛の内が熱する。
治療法は、症状が盛んなら瀉法、虚しているなら補法を施し、どちらでもなければ正經自病といって、当該経脈上の症状なので、その經を取って治療する。
【「六經脈之厥(状、太素には無)病能」について 】…素問・病能論46の篇初に注あり
森立之「能は即ち態の古字なり。説文には、態、■(たい、亻+能)の二形を同じに作る」
多紀元堅「一切經音義には姿態とあり」
【「膝屈」について 】
森立之「膝を屈すと云ふは、䯒の内熱するに及ぶは、則ち必ず四逆(四肢の逆)あると知る可し。四逆するが故に、その膝を屈するなり。その手足、厥冷すると雖も、䯒内は却って熱すと、自ずから知る可きなり。凡そ古文を讀むは、言外に求る意あること此の如ければ、學べる者は、此れに注意を以て爲すを先努とするときは、則ち靈蘭の明堂もまた、跬歩(半歩)を積みて至る可し」
【 厥陰「陰縮腫」について 】
多紀元堅「高世拭の云く、陰縮腫とは、前陰の委縮し、嚢、腫れるなり」
森立之「蓋し陰丸の左右、一つ腫れ一つは縮むを謂うべし。今、目撃する陰疝は、往々にして此の如し。この本文の陰縮腫もまた、然あるべし」
【 総論として 】
森立之「以上、六經脈の厥は、並びに是れ飲厥なり。蓋し中に宿飲あれば、風寒湿邪の襲入すれば、則ちまた寒化に從うべし。」
≪ Ⅴ-1 ≫ 太陰、少陰、厥陰經および三經ともに厥した場合の症状と、その治療法
【 論 旨 】
太陰の厥逆…脛が引き攣れ、心臓の痛みが腹に引く。その病を主る者を治療する。
少陰の厥逆…何も食べていないのに腹が一杯になり、嘔き、澄んだ下痢が出る。その病を主る者を治療する。
厥陰の厥逆…引き攣れたように腰が痛み、何も食べていないのに腹が一杯になり、尿が出なくなるり、うわ言を言うようになる。その病を主る者を治療する。
三陰ともに逆したとき…大小便が出なくなり、手足が凍え、三日のうちに死ぬ。
【森立之注記「治主病者」】
太陰の厥逆…「外台秘要に甲乙経を引いて云う、隠白(足脛中寒、足下寒、腹脹)、大都(厥手足清)、商丘(心下有寒痛筋攣痛)、三陰交(足萎不欲行、脚下痛)、府舎(心腹滿積聚厥逆)、期門(足寒心切痛、腹滿少腹尤大)」
少陰の厥逆…「外台秘要に甲乙経を引いて云う、巨厥(心腹脹滿、霍乱)、中管(腹脹不通、心大堅、胃脹)、中庭(胸脇支滿、飲食不下、嘔吐、食還出)」
「下泄清」について「清水を下利(痢)し、糞汁を交えざるなり。虎狼痢(コレラ)は、其れ少陰腎経の不治なる事なれば、全身の津液、一斉に下奔せる證なり」
厥陰の厥逆…「外台秘要に云う、太衝(小便不利、溏泄、足寒)、中封(疝)、曲泉(筋ひきつれ、発狂)」
≪ Ⅴ-2 ≫ 足の三陽經、および手の太陰・心主少陰・太陽・陽明・少陽の厥の症状と、その治療法
太陽の厥逆…卒倒する、血を吐く、鼻血が出る。その病を主る者を治療する。
少陽の厥逆…股関節障碍、回顧困難、腸腫瘍を発し、治らない。驚き騒ぐものは死ぬ。
陽明の厥逆…喘鳴し、全身の熱症状が出て、よく驚き騒ぎ、鼻血が出て、血を吐く。
手の太陰の厥逆…何も食べていないのに腹が一杯になり咳が出る、よく唾液を吐く。その病を主る者を治療する。
手の心主少陰の厥逆…心臓が痛み、喉にまで痛みが響き、全身の熱症状が出る。治ることなく死ぬ。
手の太陽の厥逆…耳が聞こえず、涙が出て、回顧困難、腰は屈むことも仰ぐこともできなくなる。その病を主る者を治療する。
手の陽明、少陽の厥逆…喉の痛み、腫れ、引き攣れを起こす。その病を主る者を治療する。
【諸家注記「治主病者」】
太陽の厥逆…森立之「外台秘要に甲乙経を引いて云う、申脈(主癲疾、僵朴)、僕參(主癲疾、僵朴)、承山(主癲疾、■〈キュウ、鼻+九〉衄)」
少陽の厥逆…高世拭「治主病者」が述べてないことについて、「此の少陽の厥逆の病態、能く陽明に發し、當に陽明を治すべし。故に、〈治主病者〉は言わざるなり」
陽明の厥逆…多紀元簡「治主病者」が述べてないことについて、「其の〈治主病者〉を言わざるは、恐らく、是れ脱文なるべし」
手の太陰の厥逆…森立之「外台秘要に甲乙経を引いて云う、魚際(主欬嗽、喘、痺走胸背不得息)、太淵(主寒厥、胃気上逆、心痛、肺脹滿)、尺沢(主欬嗽唾濁)」
手の心主少陰の厥逆…手の心主少陰の厥逆…手の心主は厥陰經なので、これは少陰心經のことか。高世拭は「手の心主は厥陰の包絡なり、手の少陰は心經なり、經の厥氣、逆すれば、皆、心痛の病あり」と大らかに解釈している。
手の太陽の厥逆…森立之「外台秘要に甲乙経を引いて云う、前谷(主耳鳴、頷腫、不可顧、目痛泣出)、陽谷(主耳聾鳴、至腰項急)」
手の陽明、少陽の厥逆…森立之「外台秘要に甲乙経を引いて云う、三間、一名少谷(主喉痺腫如哽)、兌端(主痓、互引)、翳風(主痓不能言)、消濼(主項背急)、中渚(主嗌外腫、喉痺)」
文久癸亥(三年1863)九月初四日夜三更燈下
昨夕、劉棠邊君吐血升餘。忽焉捐舎。嗚呼哀哉、享年三十有九、與柳沜先生同齡也。
※劉棠邊は未詳。柳沜は多紀元胤。元簡の三男で、文政十年(1827)没。
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