素問を訓む・枳竹鍼房
       
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
素問を訓む・ニコス堂鍼灸院

 

靈樞・營衛生會 第十八

 

霊枢・営気篇が、経脈を流れる営気の走行を論じているのに対して、本論では営気と衛気の本態を論じている。営気とは血液に含まれる栄養素と、その形而上的エネルギーである。営気篇では、冒頭でこのエネルギーを「血中に気なければ周らず、その気は陽気なり」と説明し、栄養素については、「精の専らなる者は經隧(=血管)を行る」としているのであるが、当該の条はない本もあり、澁江抽齋「霊枢講義」(学苑出版)に、この条が挙げられている。

この営衛生会篇では、営衛についての総論≪1≫の後、栄養素抽出をつかさどる上・中・下焦において、営気と衛気がどのような働きをするかを論じている。
上焦は≪3≫、中焦は≪5≫、下焦は≪8≫においてであり、総論≪1≫とともに、これが本論である。その他の条は、付加された条と考えると分りやすい。

また全篇を通して、「穀」「上焦」「中焦」「下焦」など、実際の穀物や解剖学上の器官と、穀物が持っているエネルギーや、器官をめぐる気が同一の語で示されていることが多々あり、分離して考えなければならない。

≪1≫
人の気は胃に入った穀物の気より成る。胃において穀物より気を取りだし、それを肺に伝え、肺が五藏六府に伝える。
a.この気の清浄なものが営気であり、濁ったものが衛気である。
b.営気は脈(血管)中にあり、衛気は脈外にある。※
c.営気は昼夜関係なく全身の陰陽の部を五十周し、衛気は昼は陽部を二十五周、夜は陰部を二十五周する。この衛気の作用によって、昼夜の行動が分けられる。
※ 素問・痺論43  Ⅶ-4「衛者水穀物之悍氣也。其氣剽、疾、滑、利、不能入於脈也」とある。

≪2≫
壮者は血気が盛んなので栄衛の廻りも規則どおりとなり、昼は活動的に、夜は眠ることになる。老人は営気も衛気もそこなわれるので、昼も活動的ではなく、夜も眠くならない。

≪3≫上焦
営気は中焦より出て、衛気は下焦より出る。
三焦の気を説明すれば、上焦の気は胃の上口より出て、咽⇒横隔膜⇒胸中⇒腋⇒太陰の分⇒陽明(の分)⇒舌⇒足の陽明(陽明經の足の分?)と、つねに営気とともに陽部を二十五周、陰部を二十五周して、手の太陰に至ったときに一日の周回を終えたことになる。

≪4≫付加
人が熱いものを飲食したときには、外は風に傷られ、内には腠理が開き、毛は蒸され、肌理からは漏らすことになる。そこで衛気も速く循環することになり、通常の経脈どおりに廻ることができなくなる。顔や背中からいちどに汗が出るというように、衛気が走る経脈をはずれて汗が漏れることになる。

≪5≫中焦 営気とは血中の、身体を生かす気である
中焦の気もまた、胃から出て、上焦のあとから出る。この気を受けてどうなるかというと、胃中の消化物から栄養分を滲み出させ、津液を蒸して精微な部分は肺に送る。そうでない部分は血液に変えて、身体を生かすことに奉げるので、これより高貴な働きはない。血液だけは血管(經隧)をめぐり、この気が営気である。

≪6≫
栄衛の気は精気であり、血の気(≪5≫に従えば営気ということになる)とは神気であり、名は違うが同類の同じ働きをするものである。

≪7≫「奪血(脱血)・奪汗(脱汗)している者は死に、この両方のない者は生きる」
治療において、奪血(脱血)している(大出血した者 or 瀉血した)者は汗をかかせない。汗も出ないほど衰弱した者は瀉血しない。経にある「奪血(脱血)・奪汗(脱汗)している者は死に、この両方のない者は生きる」とはこのことである。
※外台秘要では「故人有一死而無再生」どちらか一方あっても死ぬ

≪8≫下焦
下焦の気は、回腸(楊上善・大腸)から膀胱に注ぐ。ここでは水分と穀汁は併居しており、胃・小腸で消化物となったものは大腸に下り、ここからが解剖学上の下焦で、大腸に済(とお)されてきたものは、滲み出させて水分を別ち、膀胱に滲み入るのである。

≪9≫付加
酒を飲んだ場合、酒の気は穀物を熟させた気なので、剽悍で清い。よって食物より後に飲んでも、先に小水となって出る。

≪10≫付加
經には上焦の気は霧のごとく、中焦の気は漚(あわ)のごとく、下焦の気は瀆(川の水)のごとし、とある。(あるいは、これは消化物の状態をいった言葉か?)

 

 
 
 
 
 
 
 
 
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