素問を訓む・枳竹鍼房
       
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
素問を訓む・ニコス堂鍼灸院

 

靈樞・四時氣 第十九

 

第一章
栄衛生会第十八では營衛の気について論じたが、ここでは四季によって気の在る所が違うので、それによって治療する場所を変えるべきであることを論ずる。

第二章では、温瘧・水腫・飱泄など多数の病症の治療法について書いてあるが、とくに大腸、小腸、膽、に邪がある場合の治療法について詳述してある。

第三章では、病人の顔色と病の帰趨、脈との関係について述べてある。

■「素問」という書名について
第二章に「素刺」という刺法ついて述べてある。その刺法は荒く鍼をする、散らして鍼をするというような刺法だが、この素を辞書で見ているうちに、素と索は通じると書いてあり、私はハッと気がついた。恥ずかしながら、私はこれまで「素問」という書名の意味がよく分からなかった。ある有名な学者が、「平素普段の医学上の問答だ」と書いているのを見て、そんなものかと思いながら、釈然としなかったが、今回こそは腑に落ちた。素問とは、「たずね問う」なのである。こんなことが、私は三十年も分らなかったのである。


■馬蒔の注釈についての考察
第三章にある条文である。

○一其形、聽其動静者、

「一」は、各注釈家ごとに解釈が異なっている。
楊上善、張志聡・・・診察者が姿勢と精神を、しっかり固持する意。
馬蒔は、「霊枢講義」に引いてある部分だけを見る限りにおいては、「其の形の肥痩を一にす。一にすと曰ふは、肥瘦各々相ひ等しく否なり」とあり、「第一の大切なものと考える」の意か、「一つに限定する」の意か不明である。引用した抽齋自身の考えも書いてない。
馬蒔の注釈全文を読んでみると、「目は五藏の精華たり。故に是以て尢(最も大切なもの)とするのみ。又其の形の肥痩は一とするなり。▲※一とすと曰ふは、肥痩の各々、相等しく否なり」とあって、目を「尢(最も大切なもの)」としているのだから、「形の肥えているのも痩せているのも認めらない。体の形は一つに限定する」という意味になる。
こう捉えるには、上記の如く、「「目は五藏の精華たり」から引用しなくては、論が判然としないのである。抽齋にしては、丁寧さを欠いた引用である。

これに続く馬蒔の注には「其の身の動靜を聽き、凡そ身他體病證の語るを點じて皆是とする」とある<學苑出版『靈樞講義』>。しかし、台聯國風出版社版『黄帝内經素問靈樞合編 馬元台張隱庵合註』では「點」は「默」となっているのである。台聯國風版が影鈔版であり、學苑版が活字翻刻であることを考えると、「默」が正しいようである。ただし「點」であっても、「凡そ身他體病證の語るを點じて(合点して、納得して)て皆是とする」と意は通ずる。
※この影鈔本の文中に、文を分ける記号として▲が挿入されている。

<1>
四時の気はそれぞれ所在が決っているので、鍼灸の治療に当っては、気穴の場所を決定し、それを治療の定めとすべきである。
春・・・絡脈の細絡、分肉の間を治療点とする。症状の激しい者は深く刺し、間なる者は浅く刺す。
夏・・・盛經の孫絡、分肉の間を刺し、皮膚を切る。
秋・・・経脈の兪穴を取る。邪は府にないので合穴を取る。
冬・・・井穴、栄穴を取る。深く刺して留める。

<2>
温瘧して汗をかかない者は、五十九痏を行なう。
風㽷(水腫)の者は五十七痏を行ない、皮膚上の血絡をすべて瀉血する。
飱泄する者は、三陰交、陰陵泉を補う。鍼はみな長く留める。
陽の轉筋は陽を、陰の轉筋は陰を治療する。みな卒刺する。
徒㽷(腹水)の者は環谷(臍)の下三寸(=関元)に筒鍼を行なう。通閉薬を、規定通りに用いる。
著痺の去らない者は、その痺の痛上を焠刺(焼き鍼)する。・・・楊氏説
骭が脹れ、腹中の通じない者は、三里を取る。虚は補、実は瀉法。
癘風(腫風)は、その腫上を散らし鍼(もしくは、索めて鍼をする)をする。鍼の後、按じて悪風を出す。治療食を常時食べるようにし、その他の物を食べない。
つねに腹鳴して、喘鳴し、長く立っていられないのは、大腸に邪があるからで、
これは膈兪(もしくは鳩尾、気海、水分)・巨虚上廉・三里を刺す。

下腹から睾丸にかけて引き攣れ、これが腰背にまで引き、心臓まで上衝する者は、小腸に邪がある。これは、睾丸、脊から肝・肺、心系につながり、気が盛んなときは、厥逆して腸胃に上衝する。また、肝を燻じ、肓に散って、臍に結ぶのである。故に肓原(気海、水分)に治療点を取って散じ、太陰を補い、厥陰を刺して下し、巨虚下廉を取って小腸の邪を去る。通過する経脈を按じて、これを調える。

時々吐き、吐瀉物に苦みがあり、長い溜息をつき、心中悶々として、人が自分を捕まえようとしていると怖がる者は、邪が膽にある。逆が胃にある時は膽液が漏れて口中が苦く、胃気が逆するときは苦い吐瀉を吐く。これは三里を刺して、胃気の逆するを下す。また少陽の血絡を刺して膽逆を閉じ、その虚実を調えて邪を去る。

飲食が下らず隔がふさがって通じないのは、邪が胃管にある。胃管の上部にあるものは、刺して抑えて下し、下部にあるものは散らして去る。

小腹が痛んで腫れ、小便が出ないのは、邪が三焦約にある。太陽の大絡を取る。その絡脈と厥陰の小絡を見て、結ぼれて小絡がある場合は、腫れ上がって胃管に及ぶ。三里を刺す。

 

<3>
病人の顔色を見て、その病の散復を知る者は、目の色を見て、病の存亡を判断しているのである。診療時の姿勢をしっかりと固め、患者の動静を聞く者は、気口と人迎の脈を診る。脈が堅く盛んで滑なら、病は日に日に進行する。脈が軟なら病は下り坂である。諸経脈が実なら、三日にして巳える。気口では陰を候い、人迎では陽を候うのである。

 
 
 
 
 
 
 
 
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