素問を訓む・枳竹鍼房
       
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検 証 素問・鍼解篇第五十四・後半

素問の「鍼解篇第五十四」の後半は、いわゆる「九数」を用いて九鍼と人の身体・自然現象を対比させて鍼を論じようとする篇です。
「九鍼」という発想自体に、自然現象と鍼の世界を対応させようという考えが含まれていますから、この考えをさらに深めようとする論が生まれてくることも自然です。
ここでも、各節に前半から続く通し番号をアラビア数字で付し、それに対する諸注家の注や私の考えを書きました。
当初、終盤の二節(32,33節)は何が書かれているのかさっぱり分らないと思われましたが、落ちついて読んでみると意味もそれなりに通り、特に最終節には、前節に入るべきだと考えられる一条が紛れ込んでいることも判明して、非常に興味深い篇でした。
例によって
素問・霊枢の本文は紺字■

読下し文は空色字■
諸注家の注文は緑字■
筆者の考察は茶色字■ です。

前半からつづく 27 以降。

27 帝曰余聞上應天地四時陰陽、願聞方令可傳於後世以爲常也。

帝曰く、余聞く、上は天地四時陰陽に應ずと、願はくば後世に傳へて以て常(ジャウ、法令)と爲す可からしむ方を聞かむ。
黄帝が曰うには、私は上は天地四時陰陽に応ずるものだと聞いているが、願わくは、後世に伝えて法とする事ができるような規則(方)を聞かせてもらえないだろうか。

28 岐伯曰、夫一天、二地、三人、四時、五音、六律、七星、八風、九野、身形亦應之。鍼各有所宜、故曰九鍼。

岐伯曰く、夫れ一は天、二は地なり、三は人、四は時なり、五は音、六は律なり、七は星、八は風、九は野なりて、身形もまた之に應ず。鍼も各々宜しき所を有す、故に九と曰ふなり。
岐伯が言うには、まず一は天のことで、二は地のことです。三は人間を示しており、四は季節・時節のことです。五は五音を示しており、六は六律のことです。七は星宿(セイシュウ)を示しており、八は八風を、九は九州(書・禹貢)を示しています。人間の身形もまたこれらに応じています。その身形を治療する鍼も、それぞれ治療に適した鍼が有り、故に九鍼と呼ばれます。
28 楊上善「此れ、舉げて天地陰陽の數也」「人形も九鍼に應ず。故に各々別けて宜しき所有りと曰ふ」
四時・・・四季をさす。
五音・・・宮商角徴羽の各音。
六律・・・音程を定めるための長短十二本の律管(竹管)によって確定した十二律のうち、陽に属するものを六律(リクリツ)といい、陰に属するものを六呂(リクリョ)という。
二十八星宿・・・全天に二十八星宿(セイシュウ、星座)を定め、それを東西南北に各七座ずつ割り当てている。28で述べている「七星」は「九数の七である宇宙の星全体」なのか、一季節に相当する七つの星座を指すのか不明である。30の「七鍼益精」について、楊上善は「七星謂北斗七星」と注している。
八風・・・東方・明庶風、東南・明清風、南方・景風、西南・涼風、 西方・閶闔風(ショウコウフウ)、西北・周風、北方・広莫風、東北・融風

29 人皮應天、人肉應地、人脈應人、人筋應時、人聲應音、人陰陽合氣應律、人齒面目應星、人出入氣應風、人九竅三百六十五絡應野。

人皮は天に應じ、人肉は地に應ず、人脈は人に應じ、人筋は時に應ず、人聲は音に應じ、人の陰陽の合氣は律に應ず、人の齒面目は星に應じ、人に出入する氣は風に應じ、人の九竅三百六十五絡は野に應ずるなり。
人の皮膚は天に応じ、肉は地に応ずる。人の脈は九数の人(ジン)に応じ、筋は次節に応ずる。人の声は五音に応じ、人の陰陽の合気は律に応ずる。人の歯面目は星宿に応じ、人を出入りする気は風に応じ、人の九つの竅と三百六十五絡は九野(九州)に応じている。

29 王冰 「覆蓋於物、天之象也、
柔厚安靜、地之象也。     
堅固真爲、時之象也。・・・森氏云可從     
(人)備五音故。     
交會氣通、相生无替、則律之象。     
人面應七星者、所謂面有七孔、應之也。(新校正云、詳此注、乃全元起之辭 也)     
動出往來、風之象也。     
身形、之(これ)外野之象也」 →概ね可從。
29馬元台 「天覆萬物、而皮爲身之庇也。
地以厚徳戴物、而肉則柔厚安靜者象之也。
人有盛衰變易、而脈則虚實不常者象之也。
時候各有所司、而筋則各有所分束者象之。
人之陰陽合氣、應六律、律有損益相生、而氣則陰陽之象也。
人之出入之氣應風、風有往來、而氣則象之也。
其九竅爲統、而三百六十五絡爲之相摂葉應野。
蓋野分爲九、而野之萬物紛 雑、其象相類也。故用鍼以刺之者、亦所以合此九數耳」
 →可從・概ね王注に從う

「人脈應人、人筋應時森「皮肉通氣而不活動。活動者唯是爲脈、所以『應人』也。筋維持三百六十五節、所以應干四時也」
皮肉は通氣すれども活動せず、活動する者は唯だ是れ脈と爲す。 『(九数の中の)人に應ず』の所以なり。
→森氏独自の解釈・可從
筋の三百六十五節を維持するは、四時に應ずる所以なり。(三百六十五日すなわち一年は四季に應ずる)  →可從
「人陰陽合氣應律」多紀元簡 「新校正、引別本、氣作度、近是」
 氣を度(のり、制度)に作る。是に近し。
森「此説叵從。氣謂人氣、合手三陰三陽、足三陰三陽、以應十二律也。十二律即謂十二月、『法言』注云『十二律者十二月之律(當補呂)也』 是六律六呂爲天氣之陰陽、謂之六律又十二律、一也」
此の説(元簡の説)、從ひ叵し。氣は人氣の謂ひにして、手の三陰三陽、足の三陰三陽に合ひ、以て十二律に應ずるなり。十二律は即ち十二月の謂にして、『法言』の注に、『十二律者十二月之律呂也』と云ふ。 是れ六律六呂は、天氣の陰陽たりて、これを六律または十二律と謂ふも一なり。 気とは人気(ジンキ)のことで、手足の三陰三陽の気に合致しており、これが天の気に応ずる。十二律とは十二月のことで、「法言」の注にもそう書いてある。この六律六呂は天気の陰陽のことで、六律や十二律ともいうが、同じものだ。

「人齒面目應星」 森「王注以爲七竅、可從。新校正云、詳此注、乃全元起之辭也。据此則王注有淵源、非私説也」
王注は七竅と爲す、從ふこと可なり。新校正云ふ、詳らかにすれば、此の注、乃ち全元起の辭也。此に据れば則ち王注には淵源あり、私説にあらざる也。

→自説を述べることに意味があるのではなく、古書を攷えることに意義があるとするのが、「素問攷注」における立之の一貫した立場である。が、先の「皮肉通氣而不活動」のように、所々独自の論が頭をもたげるのが、本書の面白い所でもある。
「人九竅三百六十五絡應野」 森「九竅中上部七竅已應七星。此云九竅、專指下二竅、并三百六十五絡、是摠括全身血肉之言、故以應地之九野也」
九竅中の上部七竅、已に七星に應ず。此に云ふ九竅は、專ら下二竅を指し、三百六十五絡を并し、是れ全身血肉を摠括するの言なり。故に以て地の九野に應ずるなり。


30 故一鍼皮、二鍼肉、三鍼脈、四鍼筋、五鍼骨、六鍼調陰陽、七鍼益精、八鍼除風、九鍼通九竅除三百六十五節氣。此謂各有所主也。

故に一鍼は皮、二鍼は肉なり、三鍼は脈、四鍼は筋なり、五鍼は骨、六 鍼は陰陽を調ふなり、七鍼は精を益し、八鍼は風を除き、九鍼は九竅を 通じ三百六十五節の氣を除くなり。此を各々主る所有りと謂ふなり。
したがって九鍼の第一鍼は皮膚に相応し、第二鍼は肉に相応する。第三 鍼は脈に、第四鍼は筋に相応する。第五鍼は骨に、第六鍼は陰陽を調え る役目に相応する。第七鍼は精気を益す治療に、第八鍼は風邪を除く 治療に、第九鍼は九竅を通じ三百六十五穴の邪気を除く治療に相応し ている。このことから九鍼の各々は人間の身体の各部に応じており、またそれに応じた働きを有しているのである。

楊 「人身既應九數、行鍼亦有九別也。調陰陽者六律也。益精者益五藏 精應。七星謂北斗七星。除風應八風。通九竅應三百六十五節之氣九野 也。以其人身有主合之也」・・・ここで楊上善は九数における「七」の「星」は、星宿ではなく、北斗七星だと説いている。
馬 「其九鍼之以通九竅、除三百六十五節之邪氣。此之謂各有所主也」
森 「此一節受前文『人皮應天云々』而以應九鍼也。蓋皮肉筋骨、即肺脾 心肝腎之所主也。前文云應音、此云骨、似不合。然音聲之出原於腎、故 腎氣𡉟盛骨節堅强人、其音聲極明亮、是聲出於腎之徴也。前文云齒面目、此云益精亦同理。蓋精氣不足、則七竅閉塞、精氣滿溢、則耳目聰明之謂也。前文云應風、此云除風、方知人呼吸之氣應天氣、故若有不足之處、則邪氣從呼吸而入、然則口鼻之呼吸、即邪風出入之門戸也。蓋皮膚受邪、口鼻亦受邪、一齊之勢也。明・閔子慶『傷寒闡要編』、呉又可『温疫論』主論邪自口鼻入之理、學者皆以爲後世所發明。然經文已如此游明文、則其説尤古、非後世之所始發也。凡古經活看、則皆切當於今日矣。不能活看、則茫茫紙上空論、先心中立如是見解、然後枕葃
(※葄)古經、則所不能通解者幾希矣」
「此の一節、前文の『人皮應天云々』を受け、以て九鍼に應ずとする也。 蓋し皮肉筋骨は、即ち肺脾心肝腎の主る所也。前文に云ふ應音は此に 云ふ骨に應じ、似て合はず。然り、音聲は腎より出原するが故に、腎氣 𡉟盛なれば骨節は人を堅强にし、其の音聲も極めて明亮なり。是れ、 聲の腎より出ずるの徴也。前文に云ふ齒面目も、此に云ふ益精もまた 同理なり。蓋し精氣不足すれば則ち七竅は閉塞し、精氣滿溢すれば、則ち 耳目聰明の謂ひ也。前文に云ふ風に應ずとは、此に云ふ風を除くなりて、 方に知人の呼吸の氣、天氣に應ずるが故に、若し不足の處あれば則ち 邪氣、呼吸に從ひて入るなり。然り則ち口鼻の呼吸は即ち邪風出入の門戸 なり。蓋し皮膚邪を受ければ、口鼻もまた邪を受くるは、一齊の勢なり。 明、閔子慶『傷寒闡要編』、呉又可『温疫論』は主論邪の口鼻より入るの理を論ずるを主る、學者、皆、後世の發明なる所と以爲(おも)へど、經文已に此の如く明文して游(つた)ふ。則ち其の説(鍼解篇の説)も尤古く、後世の始發する所にあらざる也。凡そ古經を活看すれば、則ち皆、今日に於けるも切に(ぴったりと、適切)當る(あてはまる)。活看すること能はざらば、則ち茫茫たる紙上の空論なり。先ず心中に是の如き見解を立て、然る後、古經に枕葃(葄 シャ、枕葄・読書に耽る)すれば、則ち通解する能はざる所も幾希(キキ、ほとんど無い)ならむ」

※「葃」はおそらく「葄」ではないか。「葃」はクロクワイという植物名。「葄」は籍に通じ、枕葄、枕籍は「読書に耽る」の意(大漢和辭典)。
→ここにも古經を尚ぶべしという立之の思いが溢れている。溢れ返って言葉も雪崩のように奔出している。


森 「三百六十五節氣、馬以爲邪氣、可從。蓋邪自皮膚而入、或自口鼻而入、其入經絡者、乃三百六十五節乗虚而能入、無所不至者。又陰陽易之、自前竅注易者、其理皆一。然則口鼻不啻爲邪氣之門戸、九竅皆是爲邪氣之門戸也」
三百六十五節の氣、馬(元台)は邪氣と爲す、從ふこと可なり。蓋し邪は 皮膚より入り、或ひは口鼻より入る。其れ經絡に入らば、乃ち三百六十五節の虚に乗じて能く入り、至らざる所なし。又、陰陽に之を易(ひ)かば、前竅より注ぎ易(かわ)り、其の理、皆な一なり。然り則ち口鼻のみ啻(ただ)に邪氣の門戸ならず、九竅皆な是れ邪氣の門戸たるなり。

森 「各有所主也者、九鍼各異形各異用、故曰各有所主也」
各々主る所ありとは、九鍼各々形を異にし、各々用を異にす。故に各々主る所あると曰ふなり。


31 人心意應八風、人氣應天、人髪齒耳目五聲應五音六律、人陰陽脈血氣應地、人肝目應之九、九竅三百六十五。

人の心意は八風に應じ、人の氣は天に應ず、人の面は七星に應じ(七竅)、人の髪齒耳目五聲は五音六律に應ず、人の陰陽脈の血氣は地に應じ、人の肝目は九、九竅三百六十五に應ずるなり。
人の心意は八風に応じ、人の気は天に応じている。人の面は七星に応じ、人の髪齒耳目五聲は五音六律に応じている。人の陰陽脈の血気は地に応じ、人の肝目は九野に応じ、これは九竅三百六十五節に応じている。

「人心意應八風」 王冰「動靜不形、風之象也」
馬元台 「八風不常、而心意之變化如之」

「人氣應天」王「運行不息、天之象也」
楊 「心意邪氣應天氣之中八風也」
森 「楊以前二句、合解之、以爲一義。恐非是」
森 「人邪氣應天地者、蓋謂人身受邪氣、必先中皮肉也。前文云『人皮應天、人肉應地』之義、重明干此也」

「人面應之七星」森 「前文言『人齒面目應星』、此言『人面應之七星』。其義互相足。乃謂面部七竅也」
「人髪齒耳目五聲應五音六律」 王「髪齒生長、耳目清通、五聲應同、故應五音、及六律也」
馬 「人髪齒耳目共爲六則六律、人五聲則應五音」
森「馬説可從。諸注所説皆非是」

「人陰陽脈血氣應地」 王「人陰陽有交會生成、脈血氣有虚盈(エイ、みたす)盛衰、故應地
也」
馬 「人之陰陽十二經、乃脈血應地」
森「前文言『陰陽合氣應律』、謂手足三陰三陽經脈之氣、以應天之十二律。此云『血氣應地』者、謂經脈中之血流不止也。如地中行水之義。彼謂『氣』、此言『血』、氣故應天、非同義重出也」
「人肝目應之九」 王「肝氣通目木、生數三、三而三之則應之九也」
「九竅三百六十五」 楊「肝主於目、在天爲日月、其數當九、故九竅合九野三百六十五數也」
肝は目を主り、天に在りては日月たり、其の數は九に當る。故に九竅は九野、三百六十五數に應ずる也。
 →可從
肝、天の日月が九数の九に相当するというのは未詳。であるが、このように読むと「人肝目應之九、九竅三百六十五」の意は通じる。多紀元簡や森立之は、この辺りについては、(ここには記さないが)素問の字数のことばかりを考察して、内容には触れていない。楊氏の注は参考になる。
 楊氏は鍼解篇の前半は的を外してばかりいたが、後半にきて再び本来の威力を取り戻している。馬元台は、霊枢・小鍼解、素問・鍼解篇の両篇を通して的確な注を書いている。


32 人一以觀動靜。天二以候五色。七星應之以候髪毋澤。五音一以候宮商角徴羽。六律有餘不足應之。二地一以候高下有餘。九野一節兪應之以候閉節。

人の一(分)は動靜を觀るを以てし、天の二(分)は五色を候ふを以てす。
七星、之に應ずるは、髪の毋(ブ)澤を候ふを以てし、
五音の一(分)は宮商角徴羽を候ふを以てす。
六律は有餘不足、之に應じ、二地の一(分)は高下有餘を候ふを以てす。
九野の一節兪は、之に應ずるを、節の閉を候ふを以てす。


この32は、ここまでの28~31を受けて書かれている。難解に感じられる文だが、楊上善が「九數各有九分義(九数は各々九に分かれたもの〔九分の一〕を有している)」と説いているのに倣って解釈すれば、不可能ではない。所々欠けていると思われる字を補って読んだ。
解釈の便宜のため、28~31を再度掲げてから解読を進める。解釈文末尾の各数字は、対応している文を示す。

28 夫一天、二地、三人、四時、五音、六律、七星、八風、九野、身形亦應之。鍼各有所宜、故曰九鍼。
29 人皮應天、人肉應地、人脈應人、人筋應時、人聲應音、人陰陽合氣應律、人齒面目應星、人出入氣應風、人九竅三百六十五絡應野。
30 故一鍼皮、二鍼肉、三鍼脈、四鍼筋、五鍼骨、六鍼調陰陽、七鍼益精、八鍼除風、九鍼通九竅除三百六十五節氣。此謂各有所主也。
31 人心意應八風、人氣應天、人髪齒耳目五聲應五音六律、人陰陽脈血氣應地、人肝目應之九、九竅三百六十五。


人の九数における一分(である三)は(人脈に応ずるを人脈の)動靜を觀るを以てし、29
天の九数における二分(である一)は(人皮に応ずるを)五色を候ふを以てす。29
七星、之に(人齒面目に)應ずるに、髪の毋澤〔ブタク、艶がない〕を候うを以てし、29、31
五音の九数における一分(である五)は(音に応ずるに)宮商角徴羽を候ふを以てす。31
六律は(人の陰陽の合氣と、人髪齒耳目の)有餘不足がこれに応じ、 29、31
九数における二である地の一分は(人の肉に応ずるを、人の陰陽脈と血氣の)高下の有餘を候ふを以てし、 29、31
九野の九数における一分である節兪は、之(すなわち三百六十五節)に應ずるを、(三百六十五節の)閉を候うを以てす。 29、31
※天も九数においては「一分」のはずだが、なぜ二分になっているのか未詳。

「人一以觀動靜」 楊「九數各有九分義、故人之一分法動靜也」
「天二以候五色」 楊「天之二分之義、候五色、七星分髪、皆天之合」
「五音一以候宮商角徴羽」 楊「五音一分之義、以候人之五聲也」
「六律有餘不足應之」 楊「六律昇降、以候虚實」
「二地一以候高下有餘」 楊「地之一分之義、以候高下有餘也」
「九野一節兪應之以候閉」 楊「九野一分之義、候三百六十五節氣、輸穴閉之不洩之也」


33 三人變一分人候齒、泄多血少。十分角之變。五分以候緩急。六不足。三分寒關節。第九分。四時人寒温燥濕。四時一應之以候相反。一四方各作解。

三人(じん)の變の一分は人に齒を候へば、泄多く血少し。
十分は角、變じたるなり。
五の分は、緩急を候ふを以てす。
六の分は不足(を候ふを以てする)なり。
三の分は、關節寒(こご)ゆ。
第九分。
四の時は人に寒温燥濕す。
※2四の時の一は、應ずるに相反を候ふを以てす。
一、四方に各々解と作す。


この節は解しがたいところがあるが、九数のそれぞれに「變」すなわち異変があったときに、何を診察すべきかを論じていると思われる。
※1 九数の一天、二地、三人、四時、五音、六律、七星、八風、九野の各々を、九数における一分と考える。
※2 「四時一應之以候相反」は文の構造、内容から見ると32節に入るべき文ではないか。

九数における三である人(じん)という一分に異変がある場合、 歯を診察すると分り、下痢が多く、血は少ない。
十分(未詳)は角音の異変である。
九数における五という一分である音の異変は、緩急を候う。 九数における六という一分である律の異変は、不足を候う。
九数における三という一分(である人・ジン)に異変が現れるのは、関節の凍えである。
九数における九である九野という一分・・・・・(未詳)
九数における四である時節(という一分)は、人に寒温燥濕をおよぼす。
九数における四である時節の一分の異変は、時節に適っているか、反しているかを候って判断する。
九数における一である天(という一分)は、四方に各々の解となっている。

「三人變一分人候齒泄多血少」 楊「人九變一分之義、候齒及多血少」
「十分角之變」 楊「九數各九之、此言十分未詳、或守誤十分之義、角音之變也」
「五分以候緩急」 楊「五分之義、以候緩急之也」 森「据楊注、則本文『候』字似誤脱」(太素無『候』)
「六分不足」 楊「六分、以候不足」
「三分寒關節」 楊「三分、以候寒開(「関」であろう)節也」
「第九分四時人寒温燥濕」 楊「人弟九之分、以候四時、節寒温燥濕之也」
「四時一應之以候相反一」 楊「四時一分、以候相反」
「四方各作解」 楊「四時一分、以候四方作解、此之九數、一一各有九分、取之作解、多少不等、或取一或取二三四等。章句難分、但指句而已也」

 
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