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付記・私の鍼治療と気

このように霊枢の九鍼十二原を読んできた上は、私自身の鍼治療と気とのかかわりについて記しておかなくては、片手落ちになると思われます。

「微鍼をもって経脈を通じ、血気を調え、経脈の逆順や血気の出入りの会を調える」 治療だと黄帝は言い(【第一部】<一> <一> )、「上工は気の去来するタイミングを見計らっている。気がめぐって来る、あるいは引いてゆく頃合を見るために、無心の境地でいる」と岐伯は言っています(【第二部】<三> <三>)。
日々、私は無心の境地で患者の体に去来する気のタイミングを見計らって、補ったり瀉したりできているのかと言えば、この半分程度のことができている、というのが正確な事実だろうと思います。
敏感な治療家であれば、患者の気が手から足を通って床に抜けてゆくという人もいるし、「この人は、私の気のあり方がちゃんと分っていて、それを掌で自在に操っているのだな」と分る野口整体の治療家もいました。「いま鍼先に気が集まりましたので、鍼孔を閉じて、鍼を抜きます」ときちんと説明できる先生もいましたし、「私にはどこに鍼を刺せばいいのか見えるのです」という先生もいました。いずれも信頼できる言葉だったと思います。
私と気の合う患者さんの場合は、刺した鍼からつよい気の放出を感じることがあります。通常の場合は、左の手のひら(鍼を持つ押し手)に感じたり、顔に感じる場合や、腹の奥に感じることもありますし、患者の体に触れているとき、手のひらにざらざらと感じたり、ぐねぐねと感じたりすることもあります。
こういう直接的な感じ方ではなく、鍼を通して感じるのも患者の気でしょう。患者の筋肉の収縮とともに鍼が引き込まれる感じや、体の中でズーンと、あるいはドンと、ズクンと、ピリピリと響いていると患者が言うのも気の作用です。
その程度に分っていて、なお且つ半分程度しかできていないという認識があるのは、気の去来についてあまり真剣になっていないことの表れに違いありません。それは何故なのか。
私が思うのは、気の去来を察知でき、それを鍼下に留めたり散らしたりすることができる治療家がいる。それでも治らないものがあるだろうということです。微妙な気の去来を判別するよりも、強い鍼をしたほうが治ってしまう場合があります。鍼治療において脈診は重要な技術ですが、脈が整っても痛みが止まらないケースもままあるのです。
もちろん気の去来が分ったほうが、治療に幅が出て、治癒の可能性が高まることは当然ですが、これだけが絶対条件ではないのです。
九鍼十二原が書かれる以前に、太い鍼やするどい刃のついた鍼を用いた、外科手術のような鍼治療の時代があったが、この時を境に、気の去来を重視する治療の時代もはじまったと理解するのが、この篇に対するもっとも冷静で公平な読み方だろうと思います。

 

第一鍼・鑱鍼 (神戸源蔵)
 

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