徹底検証・靈樞 九鍼十二原・後半 |
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【第四部】 |
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<一> 九鍼の名称と形状 |
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<一> 病理(1)・・・補寫に関する誤治、五陰脈・三陽脈に関する病理 |
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無實無虚(無實實虚虚_甲乙、無實實無虚虚_太素) 。損不足而益有餘、是謂甚病、病益甚。取五脈者死、取三脈者恇。奪陰者死、奪陽者狂。鍼害畢矣。 |
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實を實すること無かれ、虚を虚すること無かれ。不足を損なひ、有餘を益せば、是、甚病と謂ひ、病、益々甚し。五脈を取る者は死に、三脈を取る者は恇す。奪陰せる者は死に、奪陽せる者は狂す。鍼害、畢る。 |
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「無實無虚」甲乙経と八十一難では「無實實虚虚」。太素では「無實實無虚虚」(素・鍼解に付した鍼経についての王注)。 |
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《記》 この前の<一>で鍼の使い分けについて説いた後、「実している所を実させてはならないし、虚している所を虚させてはならない」と説くのは【第一部】から【第三部】で泄法と除法をすててまで、補法と瀉法に刺法を収斂させた論旨との整合を図ろうとして述べているのだろう。 |
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刺之、而氣不至、無問其數、刺之。而氣至、乃去之、勿復鍼。 |
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刺して、氣、至らざれば、其の數を問ふこと無かれ。刺して、氣、至らば、乃ち之を去り、復た鍼すること勿れ。刺の要は、氣、至れば効有り。効の信は、風の雲を吹く若し。明らかなるかな、蒼天の見はる若し、刺の道、畢る。 |
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《通釈》 刺して気が至らなければ何度でも刺すべきで、気が至れば鍼を抜き、再び刺してはならない。 鍼治療の要は、気が至れば有効だということである。その徴(しるし)は風の雲を吹き払う如くである。それは明らかで、蒼天の現れるが如くである。刺の道についてを畢る。 |
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素・八正神明 「耳不聞、目明心開、而志先(洗)、慧然獨悟。口弗能言、倶視獨見(皆で見ているのに、その人にだけ現れて見える)。適(まさに)若昏、昭然獨明。若風吹雲。曰神」とある。 |
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《記》再び鍼治療と気との深い関連性を説く部である。 |
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【第六部】 |
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<一> 五藏六府と五兪穴・原穴の関係、また経脈、絡脈との関係 |
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黄帝曰、願聞五藏六府所出之處。歧伯曰、五藏五腧、五五二十五腧。六府六腧、六六三十六腧。經脈十二、絡脈十五。凡二十七、氣以上下。所出爲井、所溜爲榮、所注爲腧、所行爲經、所入爲合。二十七氣所行、皆在五腧也。 |
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黄帝曰く、願はくば五藏六府の出づる所の處を聞かむ。歧伯曰く、五藏に五腧あり、五五、二十五腧なり。六府に六腧あり、六六、三十六腧なり。經脈は十二、絡脈は十五、凡そ二十七、氣、以て上下す。出づる所を井と爲し、溜る所を榮と爲し、注ぐ所を腧と爲し、行(めぐ)る所を經と爲し、入る所を合と爲す。二十七氣の行る所、皆五腧、在るなり。 |
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《通釈》 黄帝が言うには、願わくは五藏六府の気の出ずる所の位置を聞かせてもらえないか。歧伯が答えて言うには、五藏には井栄兪経合、五つの腧穴があり、五藏それぞれに有るので、合計二十五腧穴となります。六府には、井栄兪経合、五つの腧穴に原穴が加わるので、六つの腧穴があり、六府の合計は三十六腧穴有ることになります。經脈は、五藏と六府の十一経脈に加えて、心包経脈が加わるので十二経脈。絡脈は、上の十二に、督脈、任脈、脾の大包脈を加えた十五脈があります。経絡合わせると二十七脈となり、気はこの経脈・絡脈を流れております。その脈上の気が出ずる所を井穴、気の溜まる所を栄穴、気の注ぐ所を兪穴、気の行(めぐ)る所を経穴、気の入る所を合穴とします。二十七の経脈・絡脈の気の行(めぐ)る所には、かならず五腧穴があります。 |
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「五藏六府所出之處」 張介賓は「五藏六府所之脈気、出之處」と補っているが、至当であろう。處は位置。 |
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《記》鍼治療が患者の気に深くかかわる治療であることを念押ししたうえで、 五藏六府の気が体表に出る箇所としての穴(ツボ)についての説明である。九鍼十二原は九鍼と十二原穴についての論なので、九鍼に次いで穴についての説明と なる。ただし、五藏六府の穴(腧穴)は経脈によって繋がれており、その経脈の気のめぐる所に、各々五腧穴があると説く。 ここでも治療の主体は気を整えることにあるとする、冒頭に掲げた黄帝の意思にそっ た穴についての論が説かれるのである。 最後に「二十七氣の行(めぐ)る所、皆五腧、在る也」と書かれているが、全体を読むか ぎり、十二経脈は五兪穴を有しているが、十五絡脈に五兪穴はなく、絡穴一つがあるだけである。 |
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<二> 経穴とは何か |
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節之交、三百六十五會、知其要者一言而終。不知其要、流散無窮。所言節者、神氣之所遊行出入也。非皮肉筋骨也。 |
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節の交りは、三百六十五會あり、其の要を知れば、一言にして終る。其の要を知らざれば、流散して窮ること無し。言ふ所の節とは、神氣の遊行、出入する所なり。皮肉筋骨には非ざるなり。 |
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《通釈》 気の交わる節(経穴)は三百六十五箇所ある。その要は一言で言えると知れ。その要を知らなければ、流散して終る所はなくなる。節とは神気の遊行、出入りする経穴で、皮肉や筋骨ではない。 |
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「節の交わりは三百六十五會あり」 とあり、「節と言う所の者は、神氣の遊行、出入する所なり。皮肉筋骨にはあらざるなり」 とある所をみれば、節とは経穴のことである。 |
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《記》この前<一> では兪穴という名で、原穴について説いたが、ここでは「節」という名で、原穴以外の穴について説く。これは物質としての身体ではなく、神気のめぐる場所だと説き、鍼治療においては気を用いて治療するのだということの重要性を、更めて説くのである。 |
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<三> 診察法・・・望診法と脈診の重要性 |
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觀其色、察其目、知其散復。一其形、聽其動靜、知其邪正。 |
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其の色を觀、察其の目を察して、其の散復を知れ。其の形を一にし、其の動靜を聽き、其の邪正を知れ。 |
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《通釈》 患者の顔つきをよく診、目の色・訴えを察して、患者が死んでしまうか、生きるかを知れ。精神を一つにして脈をとり、脈から邪気の動静を聞き分け、患者の予後を知れ。 |
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「一其形」 形はからだ、身体。 |
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《記》患者の顔色から予後を見極めることができ、また脈診で患者の気の様子を知ることができると説く。 |
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<四> 右手、左手の役割と脈診の重要性(2) |
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右主推之、左持而禦之、氣至而去之。凡將用鍼、必先診脈、視氣之劇易、乃可以治也。 |
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右は推(すす)むるを主り、左は持(ささ)へて禦(さまた)げ、氣、至らば去る。凡そ將に鍼を用いむとすれば、必ず先ず脈を診、氣の劇易を視れば、乃ち以て治すこと可なり。 |
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《通釈》 鍼の治療を始めるには、まず患者の脈を診察し、その気が激しいか平らかかを判断すれば、治療をはじめることが可能になる。 |
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《記》鍼を用いるに当っての右手と左手の役割を説き、次に前部<三>に引き続き、脈診の重要性を説く。 |
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<五> 病理(2)・・・重竭と逆厥、 恇と癰瘍 |
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五藏之氣、已絶於内、而用鍼者、反實其外。 是謂重竭、重竭必死。其死也靜。 治之者、輒反其氣、取腋與膺。 五藏之氣、已絶於外、而用鍼者、反實其内。 是謂逆厥。逆厥則必死、其死也躁。治之者反取四末。 刺之害中而不去、則精泄、害中而去、則致氣。精泄則病益甚而恇、致氣則生爲癰瘍。 |
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五藏の氣、已に内に絶へ、而るに鍼を用ゐれば、其の外は反つて實す。 是を重竭と謂ふ。重竭すれば必ず死し、其の死や靜かなり。 之を治すは、輒(すなは)ち其の氣を反(かへ)す。腋と膺とを取る。 五藏の氣、已に外に絶へ、而るに鍼を用ゐれば、其の内は反つて實す。 是を逆厥と謂ふ。逆厥すれば則ち必ず死し、其の死や躁なり。之を治するは、反すに四末を取る。 刺して中を害して去らざれば、則ち精、泄れ、中を害して去らば、則ち 氣を致す。精、泄れば、則ち病、益々甚しく恇す。氣を致せば則ち癰瘍 を生じ爲す。 |
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《通釈》 五藏の気が内に絶えているのに、鍼で治療をすると、反対に外が実する。
これを重竭(二重に内の気が竭きる)といい、重竭した者は必ず死ぬ。その死に方は、気が竭きて死ぬので、静かなものである。
こうならぬように治療するには、輒(すなわ)ち、その気を内に返す。腋と膺(む
ね)を取る。
五藏の気が外に絶えているのに、鍼で治療すると、却って内が実することがある。
これを逆厥(下から上へ、もしくは内から外へ気が流れる)といい、逆厥した者は必ず死ぬ。その死は、気が自然に反して逆流して死ぬので、騒がしいものになる。こうな
らぬように治療するには、反対に四肢に鍼をする。
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「則致氣」 致は、ある所に到達する、きわまる。 |
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《記1》【第五部】 <一> に続き、鍼害について説くが、やはり同様に病理について の論と捉えるべきだろう。 【第五部】<一>の病理理解は、過度の虚や実によって起る陰經と陽經の病で、甚病と 称したが(陰經・死、陽經・狂=衰弱)だったが、ここでは内と外が各々虚実反対にな って起こる病(①重竭と逆厥)と、刺鍼によって中を損ない、気が泄れた場合・泄 れなかった場合についての害(②恇と癰瘍)について論じている。 |
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《記・二》重竭(五藏の気が内に絶えたもの)と、逆厥(外に絶えたもの)について、 この<五>
<五>
には死ぬと書かれているが、霊枢・経脈篇には是動病という名称で、死なないまでも、様々な症状呈する例が述べられている。 |
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【第七部】 |
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<一> 十二原穴再論 |
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五藏有六府、(五藏_を付して読む)六府有十二原。十二原出於四關。四關主治五 藏。五藏有疾、當取之十二原。十二原者、五藏之所以稟三百六十五節(骨之甲乙)氣 味也。五藏有疾也、應出十二原。十二原、各有所出。明知其原、覩其應、而知五藏 之害矣。 |
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《通釈》 五藏には六府がしたがっており、五藏六府には十二の原穴がある。原 穴は四つの関節に出ているので、この四関節で五藏の治療ができる。五藏に病があれば、この十二原穴を取るべきである。十二原穴は、五藏の三百六十五穴の気 を稟(う)ける場所なのである。五藏に病があると、それに応じて十二原穴に反応が 出る。十二原穴は、それぞれそうした気を出す場所を有っている。 はっきりとその場所を知り、それがどんな応じ方をしているか覩て、五藏の受け ている害を知れ。 |
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《記》黄帝の当初の目的である「微鍼をもって経脈を通じ、血気を調え、経脈の逆順や血気の出入りの会を調えさせたい」という当初の願いに応えるために、経脈に流れる気を鍼で整える治療が提唱され、【第六部】<一>に於いて「願はくば五藏六府の出づる所の處を聞かむ」と岐伯は尋ねられたのに、岐伯は兪穴があると答えただけで、その「處=ありか」を答えてはいないのである。「五藏には五つの腧穴があり、五藏それぞれに有るので、合計二十五腧穴。六府には五つの腧穴に原穴が加わるので、六つの腧穴があることになり、三十六腧穴有ることになる」と、兪穴に含めて、原穴があることが述べられているだけで、原穴と同時に兪穴でも黄帝の望むような治療が可能であることが示唆されている。 |
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「三百六十五節氣味也」 甲乙経では「三百六十五骨之氣味也」 |
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<二> 十二原穴の名 |
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陽中之少陰肺也、其原出於大淵。大淵二。陽中之太陽心也、其原出於大陵。大陵 二。陰中之少陽肝也、其原出於大衝。大衝二。陰中之至陰脾也、其原出於太白。太 白二。陰中之太陰腎也、其原出於太谿。太谿二。膏之原出於鳩尾。鳩尾一。肓之原 出於脖胦。脖胦一。凡此十二原者、主治五藏六府之有疾者也。 |
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陽中の少陰は肺なり、其の原は大淵に出づ。大淵、二あり。陽中の太陽は心なり、其 の原は大陵に出づ。大陵、二あり。陰中の少陽は肝なり、其の原は大衝に出づ。大衝、 二あり。陰中の至陰は脾なり、其の原は太白に出づ。太白、二あり。陰中の太陰は腎 なり、其の原は太谿に出づ。太谿、二あり。膏の原は鳩尾に出づ。鳩尾、一あり。肓の 原は脖胦に出づ。脖胦、一あり。凡そ此の十二原は、主治五藏六府に疾有れば治を 主る者なり。 |
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《通釈》 体幹を上下に分け、上部を陽、下部を陰とした場合、その陽中の少陰は肺 で、その原穴は大淵穴である。大淵は左右の二穴ある。陽中の太陽は心で、その原穴 は大陵である。大陵も左右二穴ある。体幹下部、陰中の少陽は肝で、その原穴は大衝 である。大衝も左右二穴ある。陰中の至陰は脾で、その原穴は太白である。太白も左 右二穴ある。陰中の太陰は腎で、その原穴は太谿である。太谿も左右二穴ある。膏の 原穴は鳩尾で、一穴。肓の原穴は脖胦(臍)で、一穴。およそこの十二原穴で、五藏六府 の病を治療できる。 |
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《記》繰り返し書くことになるが、【第六部】<一>で、すでに五藏の二十五兪穴、六府の三十六兪穴、十二經脈(五藏に心包を合わせて六藏+六府の十二經脈)に十五絡
脈(十二經脈にある十二絡脈に督脈、任脈、脾の大包脈を加えた十五脈)を合わせた二十七脈の絡穴が説かれ、ここで五藏六府の治療ができることが明らかにされた。 |
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【第八部】 |
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<一> 腹部の病理…脹と飧泄 (衍文) |
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脹取三陽。飧泄取三陰。 |
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脹は三陽を取る。飧泄は三陰を取る。 |
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《通釈》 腹脹の治療は足の三陽経を取り、下痢は足の三陰経を取れ。 |
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《記》 腹部の症状の治療について、突然ここに掲げられているが、この九字は本来【第九部】「不下復始也」の下に入るべきものと思われる。【第九部】にも、腹部症状の治療について書かれているが、当時、腹部の疾患を治すことが急務だったということだろうか。 |
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<二> 病理概論・・・久病であっても治すことができる |
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今夫五藏之有疾也、譬猶刺也、猶汚也、猶結也、猶閇也。刺雖久猶可拔也、汚雖久 猶可雪也、結雖久猶可解也、閇雖久猶可決也。或言久疾之不可取者、非其説也。夫 善用鍼者取疾也、猶拔刺也、猶雪汚也、猶解結也、猶決閇也。疾雖久猶可畢也。言 不可治者、未得其術也。 |
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今、夫れ五藏に疾有るや、譬へば猶ほ刺すがごとく、猶ほ汚れるがごとく、猶ほ結ぼるるがごとく、猶ほ閇(と)ざすがごとし。刺すこと久しと雖も、猶ほ拔くこと可なるなり、汚るること久しと雖も、猶ほ雪ぐこと可なるなり、結ぼるること久しと雖も、猶ほ解くこと可なるなり、閇すこと久しと雖も、猶ほ決(き)ること可なるなり。或ひ
は久疾は取ること不可なりと言ふは、其れ説くに非ざるなり。夫れ善く鍼を用ゐる者は、疾を取るや猶ほ刺(とげ)を拔くなり、猶ほ汚れを雪ぐなり、猶ほ結ぼれを解くなり、猶ほ閇を決(き)るなり。疾の久しと雖も猶ほ畢へること可なり。 |
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《通釈》 五藏に病がある場合、たとえば刺すような痛みのものがあり、汚れのような病、結ぼれのような病、閉ざしたような病がある。ただ棘を刺すような痛みが長く続いていても、なおその棘を抜くことはできるし、汚れが長く着いていても、汚れを雪ぐことはできる。長く結ぼれていても、なお解くことはできるし、長く閉ざされていても、その閉塞を決(き)ることはできる。久しい病を治すことができない工は、治療について語るべきではない。 |
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「或言久疾之不可取者、非其説也」後に再び「言不可治者、未得其術也」とある。 |
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《記》 五藏の病について、これまで表裏、内外、過度の虚実を病因として説明してきたが、ここでは刺、汚、結、閉、という症状を掲げて治療できると説いている。また、これができないのは、工が未熟だからだと論ずる。 |
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<三> 熱病と寒冷病の運鍼法、陰中の陽病・腹部内外の病の治療穴 |
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刺諸熱者、如以手探湯。刺寒清者、如人不欲行。陰有陽疾者、取之下陵三里、正往 無殆。氣下乃止、不下復始也。「脹取三陽。飧泄取三陰」 〔<一>より〕 疾高而内者、取之陰之陵泉。疾高而外者、取之陽之陵泉也。 |
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諸熱を刺すは、手を以て湯を探るが如くせよ。寒清を刺すは、人の行くを欲せざるが如くせよ。陰に陽疾有る者は、之を下陵三里に取れ、正に往くに殆り無かれ。氣、下れば乃ち止め、下らざれば復た始めよ。「脹は三陽を取れ。飧泄は三陰を取れ」〔<一>より〕疾、高くして内なる者は、之を陰の陵泉に取れ。疾、高くして外なる者は、之を陽の陵泉に取れ。 |
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《通釈》 熱病患者に鍼をする場合は、手で湯の中を探る如くに、さっと刺せ。寒冷に侵された患者を刺す場合には、去り難い思いがあるように、時間をかけて鍼を留めよ。 |
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「如人不欲行」 張介賓「有留戀之意也。宜留鍼若此」 |
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《記》 まず熱病患者と寒冷に侵された患者に対する鍼の仕方を説く。 |
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