森立之(1807~1885)は今ではまったく無名です。福山藩士でしたが、広島県福山市で生まれ育った人ですら知りません。しかし、鍼灸や湯液、本草学を語るうえでは必須の学者です。森立之は鍼灸学や湯液学を、考証学面から大きく前進させた人でした。
考証学というのは清代の中国で隆盛した学問で、一言でいえば原典批判のことをいいます。 原点批判がなければ、古典といわれる書物を不磨の聖典という目で見ることしかできなくなります。つまり盲信するしかなくなるのです。
この「森立之小伝」を書いている私は、鍼灸の世界に生きる人間ですが、つい二十年ほど前まで、鍼灸世界の古典といわれる書物は、何かありがたいこと・東洋の神秘的な叡智が書かれている書物、という目で見られていました。しかし森立之の書いた「素問攷注」が国会図書館で見出され、平成九年に出版されてからは、私もこうした盲信を払って、ごく当たり前の目でこの書物を読むことができるようになりました。
おかしなことですが、江戸時代に科学的な目で読まれていた書物が、平成の時代には盲信の対象になっていたのです。私はこの事実に愕然としました。
さて再度、原典批判の重要性についてですが、もともと古典というものは神話的な世界を書いたもので、その世界に全身で入って来られる者でなければ理解できないものといえます。そうした盲目的になることを要求している書物に、どのような科学的知識が書かれているのかを読みとろうとすると、同時代のほかの本とつき合わせて読むことが必要とされます。その時代の多々の書物に書いてあることと比較して読むことによって、その時代の常識であったことや、当時の科学知識、あるいは比喩として書かれていることの内容が読みとれるようになります。このほかの書物と比較して読むことが、考証学の一端です。
ある書物の内容を他の多数の書物と比較して読めるということは、中国に歴代つたわる書物に精通しているということで、一言でいえば博覧強記である必要があります。森立之という人も驚くべき頭脳をもった人だったようで、医官という立場から、おもに医書の考証にたずさわりました。江戸幕府の医書考証事業に、漢学全般にたいする博覧強記ぶりを発揮しておおきな業績を残したのです。明治になって、清より来日した大使、書家、学者たちは、この立之の博識ぶりに驚嘆しました。医書の校勘・考証にかんしては日本・中国を通して歴代の最高峰だったのです。
そうした頭脳の最高峰の力を持った人でありながら、人格的には多少の問題を持っていたところが、またこの人の魅力でもあります。さらに時代は、江戸から明治へ変わる激流の時代でした。まさに森立之の一生は、映画で見る物語のような一生だったのです。
私は生業が鍼灸師ですから、学問よりもその人と為りに興味をもつ人間です。素問や霊枢を読まない人・漢学などという四角い学問に縁のない人にも親しめるような形で、森立之という人物を示しておきたいと考えています。彼の一生がテレビドラマにでもなればよいと考えて、この小伝を書きはじめました。
〈 下の肖像は、藤浪剛一『医家先哲肖像集』より 森立之の肖像は「森立之研究会」にも掲載されています⇒ 〉 |