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〈 森立之小伝 一   緒言  〉

森立之(1807~1885)は今ではまったく無名です。福山藩士でしたが、広島県福山市で生まれ育った人ですら知りません。しかし江戸の校勘学を語るうえでは必須の学者です。校勘学・考証学というのは清代の中国で隆盛した学問で、要は原典批判、テキスト精査のことをいいます。
校勘・考証ができるということは、中国に歴代つたわる書物に精通しているということで、立之自身は医官だったので、おもに医書の校勘・考証にたずさわりましたが、この事業に漢学全般にたいする博覧強記ぶりを発揮しておおきな業績を残しました。明治になって、清より来日した大使、書家、学者たちは、のこらず立之の博識に驚嘆しました。森立之は間違いなく、医書の校勘・考証にかんしては日本・中国を通して歴代の最高峰だったのです。
そんな巨人の名が、なぜ忘れられてしまったのかといえば、ひとえに明治維新のせいに他なりません。この期を境に、漢学はすてられ西洋の学問に舵がきられました。立之は明治18年に79歳で没していますが、知友が失意のうちに死んでゆく中にあって、ひとり長命を得て研究の熱は衰えませんでした。
私は鍼灸の道に進んでいますので、素問(そもん)や霊枢(れいすう)という鍼灸の原典を読まないわけには行きません。しかしこうした医書をもっと深く知ろうとすると、その注釈書(研究書)を読むことになります。素問も霊枢も漢代にまとめられた書物ですので、その注釈書は汗牛充棟ですが、その中にあって立之の「素問攷注(そもんこうちゅう)」は白眉の一本です。その見解は高々としており、広い視野から見た論は自由でのびのびしており、歴世の注釈家が間違っていれば遠慮なく非であると断じ、時には玉典である素問をすら謗りました。
私の今後の目標として、森先生の業績を分りやすく残したいということがあります。ニコス堂で毎月行なっている古医書の訓読会もそのひとつですが、素問や霊枢を読まない人にも親しめるような形で、森立之先生の人と成りを示しておけたら、と考えています。先生の一生がテレビドラマにでもなれば良いと思っているのです。これから縷々述べることになりますが、先生の一生も、映画になるような一生だったのです。
〈 下の肖像は、藤浪剛一『医家先哲肖像集』より 森立之の肖像は「森立之研究会」にも掲載されています

 
森立之小伝
 
 
 
 
 
 
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